詩人、あるいは人の持っている悲しみについて/おぼろん
 
以下の方がこの文書を「良い」と認めました。
- ひだかたけし 
最近の僕の詩はこの論考に収束するものと思われます。

〉詩人や芸術家の手がける「悲しみ」や「喜び」というのは、全ての人間が突き当り、形にすることができずに常に苦悩しているものだということにも、気づいてほしいのです。


私たち一人一人、それぞれがそれぞれの荒野を抱えている。
- st 
- TwoRivers 
人間の感情は断片化され、決して論理的に語れるものではないのかなと思います。
私自身の詩も、あるいはTwitterのつぶやきも、悲しみも喜びも怒りも混在していて、他人から見て論理的に推し量れるものではないにも関わらず、それでいて共感を求めてしまったりするのです。
- りゅうさん 
- ryinx 
 
作者より:
貴重なポイントとコメントをありがとうございます。

>ひだかたけし様

ひだかさんの詩、このごろ深化していますよね。今までは世界や個々の事物を全的に表現していたのが、今は(自分自身をも含めた)個々の存在へと没入していくような。それこそ、中原中也の「汚れつちまつた悲しみに」に代表されるような、自己の他者化にも挑戦されていて。ひだかさんの批評を書けば本が一冊くらい書けてしまうくらいなので、ここではエッセンスしか書けませんが。^^今後ますます発展していくのだなあ、と思うととても楽しみです。

>TwoRivers様

人間の感情が断片化できたら「ああ」とか「おお」で済んでしまいますものね。喜怒哀楽、それらがすべて混ざっているんだと思います。それなので、言葉にするのが難しい。詩は、その現在だけでなく、過程や背景も書かなければいけませんし。逆に、その過程や背景を書くことで、複雑に入り組んだ感情を表現できるのかもしれません。

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