日曜日の処理場/空丸
 
以下の方がこの文書を「良い」と認めました。
- ひだかたけし 
- 鵜飼千代子 
- 山人 
 そうですね。私もつくづく詩など不毛だと思います。なぜなら、おっしゃるように「詩」はすでにそこに存在するからです。すでにあるものをわざわざ言葉にする必要性があるのかどうか?これは一つの人間のエゴでもあるわけですが。
 人が見たもの、感じたもの、そこにすでに「詩」はあるのだと。人が活字にすることによって、本来の「詩情」は失われていくのでしょう。しかし、生臭い人間はそれを「詩」などというものに身を投じてしまうわけです。
- ナンモナイデス 
- 梅昆布茶 
- 46U 

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