十年忌/大村 浩一
 
以下の方がこの文書を「良い」と認めました。
- 鵜飼千代子 
- 46U 
- 田中宏輔 
- アラガイs 

便利さや平和という人為的な目的のために、この小さな島国のあちらこちら延長線上には、起爆を張り巡らせた配線が点在しています。我々はただ何事もないように願うしかないのでしょうか。
- 空丸 
- たちばな まこと 
- AB(なかほど) 
 
作者より:
 今日2021年3月11日が震災10周年という事で、ツイッターで和合さんの呼びかけを見て作品を書いてみました。考えたらツイッターに詩書いたの初めてだ私。(汗)140字で完結させようとしたら難しかった。ここには削る前の完全版を出しました。少し肉付けした程度ですが、現フォ向けボーナストラックだと思って頂けたら幸いです。
 現代詩手帖3月号特集「詩と災害」の44頁の対談で、関悦史さんが「書いたものが通念に寄ってしまう」と言っていた事が、心にこびりついています。災害に直面し体験した人の作品でさえそう見える事がある。まして私には静岡で体験したことしかない。
 それでも色々考えた末、手は尽くすにしても、書くことでしか始まらないのだとひとまず結論しました。大きな悩みですが、文章に情報を超えた何かを見出せるのは読者だけかも知れない。それを作者の側が先取り出来るとか思うほうが、実は思い上がりなのかも知れません。

 鵜飼千代子さん、千代弦さん、田中宏輔さん、ポイント下さった皆さんありがとうございます。
---2021/03/12 13:12追記---
アラガイsさん、空丸さん、ありがとうございます。 
>>アラガイsさんへ

 大村の意見としては。テクノロジーの害の面は、いまの地球では否定しても拒絶しても対抗できない、使うもののほうが有利を占めるから。また「力の均衡」という意味でしかない「平和」は、ただの状態表示だと思います。そうでない世界を望むなら、この現実に向き合って発言していくしかないと思う。しんどくても。
---2021/03/13 15:19追記---
たちばなまことさん、ありがとうございます。

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