壮大なデマを垂れ流しつづける人たち/一輪車
 
以下の方がこの文書を「良い」と認めました。
- 花形新次 
そうだ、その通り!てめえの情念にしか関心のねえ奴が語る政治話なんてスターリニストの「大量虐殺しちゃいますよーだ!」ってことにしかなんねえんだよ。そんならそれでも良いけどさ、正義のオブラートにくるんでごまかすのがクソ左翼やクソ自称詩人なんだ。

- 石村 
久しぶりに現フォをのぞいたらご健筆をふるっておられたので安心致しました。
この騒動、全く愚劣そのものですが、この件に限らず東京オリンピックをどうにかして潰そうというメディアの圧力がこのところ露骨になってきておりますね。
東京オリンピックが中止になって得をする人々、あるいは国はどこにもないと思いますが、例外がひとつあります。2022年に「コロナ禍を乗り越えて冬季オリンピックを完璧に運営し成功させる」予定の某国です。チャンチャン。
- 田中宏輔 
- 足立らどみ 
以下の方がポイントなしでコメントを寄せています。
- アラガイs

西郷どん、あなたなら皆従う。どうかどうかお頼み申します。諸氏一同、皆目頭に涙を浮かべては深々と頭を垂れた。
今さら引退した長老を担ぎ出すのは、自らの本懐を成し遂げるとには都合もいいからだ。責任をこのひとりの長老の背に押し付けられるのだ。
日本人はメンツばかりにこだわってどうしようもないね。 女のくせに~若僧のくせに~。そりゃ昭和生まれのおいどんにも蔑視意識もないとは言えない。年長者に限らず男性なら皆胸のどこかに秘めていそうだよ。しかし出る杭は打たれる。認めないのはいいとしても嫉みを我慢できずに苛め抜いてやろうとするのが、昔から脈々と引き継がれる日本人のわるい癖だ。有り余る才能ならば老若男女に限らず認めてやればいい。そんな意識が低いのもメンツにこだわるからだろう。わしのほうが歳は上じゃ。女は家庭に引っ込んでろや。まるでヤクザ社会だね。とか吠えても1対1じゃ体格に勝る西洋人には勝てないのはわかりきったこと。
「どうも、過去の日本人が過ちを冒してすみませんでした」。右翼で極差主義者の一輪車くんには絶対容認はできないだろうが、韓国北朝鮮の方角をまえにして、一度深々とあたまを下げときゃいいんだよ。それを、なんやらからと理屈を付けてはメンツにこだわる。だから何を言おうと反発を買ってしまうんだね。
森やら二階やら。自ら引退しないのも滑稽だが、周りも祀り上げて置いてよく恥ずかしくないもんだよ。


中国の自治区拘束問題はちゃんと報道されてるじゃないか。アソコはまともに入り込めないから精細な報道が難しいだけだろ。
何がささやかなる大衆の平和だ喜びだ、と。お山だ福沢諭吉気取りかね。笑。
本気でそう思うやつが何も攻撃していない相手に対して鹿児島は黒豚のババアだジジイだのとよく言えたもんだ。お笑いもんです。。
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---2021/02/05 18:21追記---
 
作者より:
由比良 倖さん 
花形新次さん 
石村さん 
田中宏輔さん
お読みくださりありがとうございます。
今回の騒動の裏にあるものにわたしは恐怖を覚えています。
たとえば現役の医師がTwitterにこんな発言をしている。

 日本中の森喜朗を社会が否定し、
 これから生まれないような未来へしていきましょう。

https://photos.app.goo.gl/ADLMkxNHAf65bTce8
「日本中の森喜朗」を「生まれないよう」にって、
森喜朗ってそれほどひどい人なのか、ちょっと想像を絶する憎悪
だと思われる。
これから生まれないようにするっていう思想の建て方そのものに
ぞっとしますが、
これが今、リベラルの名のもとに世界中を覆いつつある一種の
気配なのです。そのことに気づけない表現者(詩人)など、いったい
なんのために存在しているのか。




アラガイくん、わたしは言葉を交わしたこともない黒豚ババア鵜飼千代子から
「死ね」とコメントされたり、
相模原の介護施設で連続殺戮があっときもコメントでお前も同類だとコメントされた。
そんな暴言は本来ならアク禁ものだろ。
黒豚ババア鵜飼千代子が話したこともないわたしを罵倒するのはサヨクリベラルを批判しているからだが。
黒豚のお友達のガチョウが2ちゃんねるでわたしのデマをいいふらしていることを問題にしたこともわたしを恨む理由になっている。
おまえはそんな黒豚とつるんでいるから滑稽なんだよ。

政治というのはね、
いや、政治にかぎらず、思想でも哲学でも詩でもいいけど、
もし中味が倫理的な部分を含んでいるなら、必ず次のことに根ざしているべきなんだよ。
それは、

 ささやかな庶民大衆のささやかな生活と命を守ること

すべてはこれに尽きるんだ。
これが政治や思想や文学の倫理的な部分がもつべき必然的な命題だとわたしは
考えている。
ところがいまのリベラルは自分たちの都合によってあるものは批判し、
あるものには目をつむる。 
たとえば森喜朗の些細な発言にはヒステリックに叫ぶくせに、中国の少数民族
大量殺戮には目をつむって知らないふりをする。
すなわち倫理的ではなく政治的なんだ。
だから、
わたしはいまのリベラルを信用しない。もしリベラルが倫理的なら
左派だろうが右派だろうが、ネトウヨだろうがその党派性には関係なく
内容に即して振る舞うはずだ。
つまりほんとうのリベラルとは倫理的でなければ無価値無意味であり
いまのように党派的にふるまうリベラルはただの「左翼」でしかない。

アラガイのような世界認識どころかてめえの情念だけにしか関心がなく
その政治的倫理的な見識も、詩壇のだれかあほうの受け売りしか語れない
愚か者にいっても一ミリも理解できないだろう。
てか、わたしが何を語ったか一ミリも理解できないだろう。哀しいかな
詩てのはそれでも書けるのだ。
ここが詩の美点であり最大の欠点だ。
一ミリの世界認識もなく書いているやつばかりになったのはその欠点が
全面に押し出されたからだ。情けない話だよ。



---2021/02/06 04:09追記---

---2021/02/06 06:08追記---

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