某月某日 ー 詩ではなく、批評でもない、ただの言葉/石村
 
以下の方がこの文書を「良い」と認めました。
- ひだかたけし 
アフォリズム的に散りばめられた言葉が
強く心を魂を打ちます。ゝ
- アラガイs 

朗読の下りを読みながらチュパチュパと、安くてよい勉強をさせていただきましたよ。ホント。それにしても高い高いなあ、といつも根には持ちながらも焦げ付けきゃすぐに詰まるしそれが勘に障って下手な扱いをすればポロッと芯が折れてチッソくアララ!。何個同じモノ買わされたら気が済むんだよ。このクソiQOSやろうめが~~と気が済むのはわたくし本人の自覚でありまして、禁煙主義のお方を前にしては、煙草?もう止めたよ!ンなのやめたやめた~と陰で少ない煙をチュパチュパ吸っては人様の日記ばかり。読んだ読んだと愚痴には味付けあ~まったく味気ない自分の舌とあたまと下半身までもが恥ずかしくなりました。ぺこり。
---2020/05/06 23:24追記---

---2020/05/06 23:30追記---
- 一輪車 
無駄なものが寂しく消えて
プラグマチズムとグローバリズムが
蔓延しておりますね。
サヨクリベラルたちも無駄を排すところは
つるつるの効率主義者と同じです。
- st 
- 秋葉竹 
そりゃ、そうだ、と思ったり。いや、違う、と思ったり。刺々しいなぁ、と引いてみたり、なるほどなるほどと前のめってみたり。書き流した風だけど、すごくバランスがいいから、読みやすい文章にするようにはちゃんと整えていただいているようで、わたしには絶対に書けないなぁ、わたしは書き流すだけだからなぁ。

それはそうと、なんで珍しくも長々と感想を書いているかというと、ですね。まぁ、この文章に、ですね、いろいろと思うところはあったりするのですがね。
一番、あ、これ、アルアル、と思った言葉があって。

>手応えのあった作品ほど反響が鈍く、どうってこともない出来に終わった作品のほうがかえって反響を集めたりするもんだ

たぶん、この文章を読んでまず、あっ、わたし以外にもそんな経験しいて、それをこういうところで《暴露》してしまってる人がいるんだ、という感想をいだかされました。
いや。ほんとうにそうではなくてですね、ほんとうはけっこう多くの方が経験しているいわゆる《詩人アルアル》だと思いますよ。でも、瞬間いだいてしまった『《わたし》には、わかる』という気持ち。
この『わたしだけがわかる気持ち』が大事なんだと、どこかで聞いていてですね、わたしもいつかは、なんとかそんな風な文章を書きたいなぁ、と思っていながら、ぜったいこんな上手には書けないのがわかるから、キビシいなぁ。
あっと、じぶんのことばかりですみません。
でも、けっきょく詩人なんて三流でも自称でも、一流でも二流でも、じぶんのことを書きたいだけのモノノケですもんね(って、さいごにけっこう『わたしだけがわかる気持ち』になっていただける文章を書いたつもりになって、終わらせていただきます、って、そんなこと書くからおまえはダメなんだ、よ)。
- 足立らどみ 
なぜか若い時の日記も含まれているとは思いますが、全体を通して読んで、忘れた上で、思うのは、全てを含んだ、内なる改革でした。全然違うのに、なぜか、金融腐蝕列島〔呪縛〕という映画を思い出しました。
- 星染 
- ナンモナイデス 
- 木葉 揺 
 
作者より:
皆様、愚にも付かぬ駄文に目を留めてくださり有難うございました。

ひだかたけし様、過分のお言葉有難うございます。アフォリズムというよりアホの妄言であります。

アラガイの兄さん、名前が複数形になったんだね。感想、何を言ってるのか全然分からんが面白く読ませていただきました(笑)。まあ、アラガイさんがまともに評するような価値のあるものでは全くない落書きだからね。感想くれただけでも有難いことです。こちらもぺこり。

一輪車様、ご高覧有難うございます。詩と詩人は元より無駄なもの。無駄なもの、排されるものの側に留まるのが詩を書く人間の態度だと思うのですが、無駄を排する側の思想に無自覚に絡め取られている阿呆ばかりがどうしても目についてしまうのですね。やんぬるかな。

秋葉竹様、確かにこんなにいっぱい感想を書いて下さったことは記憶にありませんね(笑)。嬉しくも有難いことです。
「《わたし》には、わかる」「わたしだけがわかる」という感慨、はい、あれですよね、あれ。他人に説明しようとすると平凡な概念にしかならない、そんなの私にもわかるよと言われてしまうけど、いや、そうじゃないんだよな、これは私にしかわからないことなんだ、というもどかしいような感覚。詩でも小説でも批評でも、それくらい個人の聖域に入り込んでくる言葉にはなかなか出逢えない。平凡な言葉で言えば「実感」ということになるのでしょうが、実感という経験は常に平凡ではない。全くパーソナルな《事件》なのですよね。物書きとして、そこに届く言葉だけを書けるようになりたいものです。

らどみ様、ご高覧有難うございます。これには「若い時の日記」は含まれておらず、今年の4月1日から5月6日までにツイッター上に記した妄言をほぼそのまま記述しています。タイトルと日付と最終日の記述のみが虚構です。ここから「内なる改革」を読み取って下さったのは、書いた当人にとって興深い発見でした。有難うございます。

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