作者より:
トビラさま
おねーさんのお知り合いの方でしたか! 光栄でございます。
ふうむ、ご指摘の場所は信者にしか分からないものなのかな…。叙情詩と叙事詩というのは、相方とも結構論争したのですが、「出来事を淡々と語るのが叙事詩、感情を淡々と語るのが叙情詩」という古典英文学の教授のご意見を採用しました。全体的に詩編と雅歌とを取り入れたので、情がある方だと思いました。………。他の聖書の箇所が淡々としすぎてて、そう見えただけなのかしら? 貴重なご意見ありがとうございます!
AB(なかほど)さま
この詩を書いたとき、一番最新の情報では、聖書に出てくる「苦菜」っていうのが、現在のロメインレタスであるという説があったのです。その後に「水菜説」が出ました。私は「苦菜」って、セロリとかの香の物とかだと思っていたので、それだとイメージの差がありすぎると思いましたので、ルビを振りました。ちょっと私個人の経験がでしゃばったかもです。
孤蓬さま
いつも一番のコメントありがとうございます。
ここは多分、ミサ次第の日本語だからですかね。信仰告白の一部に、「十字架にかけられて死に、黄泉に下り、三日目に復活し」と区切る場所があるのですが、これ、意味としては、「十字架にかけられた事によって死んだので黄泉にくだった」ではなく、「十字架にかけられて、その後死んで、その後黄泉に下った」なのです。この辺りの違いは孤蓬さまなら一目でお分かりですよね!
なのでここも、「行った、その後渡した」なので、破綻はしていないです。ですがわかりにくいのは確かですね。むむ、どうしようかな、少し修正を考えます。