くだる/るるりら
 
以下の方がこの文書を「良い」と認めました。
- もとこ 
- ひだかたけし 
- こたきひろし 
- アラガイs 

「くだる」地方紙の文芸選辺りに投稿されれば入選として評価されるかも知れない。さすがにしっかりと書かれてはいます。それはさておき、るるりらさん、昔からのお知り合いなので私なりにちょっと厳しい見方をさせていただきますよ。
あの、という連体詞が多く用いられていますが、これは意図的なものでしょう。くだる、とタイトルにもあるので、このことは過去への想い、つまり語り手の胸のうちに眠る記憶から情景を抜きとってイメージにされていると思うのです。
読めば、家族と暮らした子どもの頃の情景や二章と置かれた「さらに、くだり」では平成という時代を背景に、わたしは指の仕草を絡めながら縄文土器の形が一時代の象徴として語られています。平成を思い返すわたしの心境として。いまではひっそりと暮らす数も少ない子供たちを眺めては、にぎやかに暮らしたわたしの子どもの頃の情景を重ねて。無骨にも色鮮やかだった花のような子どもたちとわたし。それは、いまでも胸に残る、あの橋の向こう、と。 つまりここでは語り手の遠い過去をくだりながら現在の心境として、(あの)は内実の遠距離を示すように用いられているわけです。
しかし語り手自身の遠距離感を示すだけでよいのか、とも思われてもきますね。イメージ的に遠近法的な見方をすれば。
それは情景としての空気感がいま少し乏しいからです。あの、が在ったのならば、この、近距離がなくてはならない。このことは現況を示す心境としては語られています。では情景としてどうでしょうか? この、とは近景なのです。この、もちろん用いるのは必要ありません。その代わりに実際に眺めみたような景色は具体的に必要にもなってくる。たとえば橋を渡る今では崩れかけた灰屋、傍らに咲く花は何の草花たちなのか等々。このことはむろん創作でもかまいません。そのようにイメージさせてもらえば(あの)はもっと活きてくるはずだと、わたしは思いました。

- 石村 
平成をさかさにすると縄文土器になる。。。どこからこんなポエジーを生み出しよるんかね、この姐さんは(笑)参りました。
- 秋良 
- 一輪車 
力のある人だから
わたしはるるりらさんには厳しいので
それなりのものを見せてくれないとめったに
ポイントはいれないのですが。^^
- たま 
- 羽衣なつの 
- 新染因循 
- 田中修子 
- そらの珊瑚 
- たこ 
- atsuchan69 
- かんな 
- ベンジャミン 
 
作者より:
- もとこさま 読んでいただいたうえにポイントまでありがとうございます。 
- ひだかたけしさま 読んでいただいたうえにポイントまでありがとうございます。 

- もりのりすさま 五月五日といえば、この詩の骨組みはすでに できてはいたのですが、メディアがあまりに 年号のことばかりでして 私自身が 耳にタコがぼこぼこにできてしまってまして、詩アップしようとしても へこたれました。なので 子供の日には柏餅を食べて 元気をつけることに専念して現在に至る。って感じです。
空に こいのぼりって なんとも いいですよねぇ。でも私は広島なんです。広島は 鯉って 結構 長期間 空を泳いでるんですよー。謎ですねー。

- こたきひろしさま 読んでいただいたうえにポイントまでありがとうございます。 

- アラガイさま 地方紙の文芸選かあ、わたしはネットオンリーの活動ですが、もしかしたら方向性を間違えているのでしょうか?中国新聞さんに チャレンジしてみようかしら。長年していると、意味もなく なにやってるんだかと 思うことのほうが多いですので、そのように言っていただいて とても励みになります。 けれど、紙媒体は反応が遅すぎで、ネット依存ぎみの私には過酷です。もし 新聞社に投稿して ボツになった場合は、どなたが めったぎりにしていただかないことには めざめが悪いなあとかを先に考えてしまうのですよ。ぐすん。

さて本題の本作品についての話にします。

あの、という連体詞が多く用いられているのは 半分は意識的に行いました。いや違うか意識的であると読者に思っていただけるように 繰り返す回数を多めに連発しました。半分は、と言いましたが、のこりの半分は無意識への導入を意識しています。と、いいますのは 子どもの頃に
「だれも いそがない村」(岸田衿子作詞)という曲が好きでした。「あの丸木橋を渡ると誰も急がない村がある…♪」で、はじまる曲なんです。わたしは、引っ越しばかりしている子でしてね、引っ越し先で丸木橋をみつけまして、ぐらぐらする丸木橋を渡るたびに、この歌の導入部を繰り返すことで 引っ越し前の風景にダイブする空想を 子どもの頃の私は 頻繁に行っていました。この詩は、私が子供の頃に自己に暗示をかけていた方法で、回想を喚起して書いたものです。だから意識的に「あの」を 連発したと言えるし、それは無意識的に「あの」を欲していたとも言えます。
 それにつけても、ご指摘していただいた「あの」に対するご意見、「語り手自身の遠距離感を示すだけでよいのか」とは、目が覚めるような鋭いご指摘をいただきました。たしかに情景としての空気感が 私の詩の「あの」の部分には乏しいです。岸田衿子の「だれも いそがない村」の「あの」が、なぜ わたしの心を 心を捉えつづけたかの理由が、私には たったいま 分かりました。
 つまり、岸田衿子の「あの」の部分は たった一行で情景としての空気感が完璧だからだったのですね。そうだったのかーーーー。

がしかし、現在の橋の情景を喚起する文言ですか。うーーーむ。それは、むずかしいです。とても よい宿題をいただきました。ありがとうございます。

- 石村さま 
ありがとうこざいます。「くだる」っていうのがこの詩の題名なんですが、ほんとうは「くだらない」ことを やらかしたかったんです。嬉しい。笑っていただけて 嬉しいです。
psカイトのおかげもあるのだけど 彼にうまくお礼がいえない。いや言っておこう。カイト、読んでいるのかな。ありがとー。

- 秋良さま 読んでいただいたうえにポイントまでありがとうございます。

- 一輪車さま
いつから私が、力のある人になったんですか。かつて 一輪車さまに、ぼろくそに言われたこともありました。かと思うと、様々な方が ぼろくそに言っているときに なぜか一輪車さまだけが誉めてくださったこともありました。そして、いまは 力のある人なのですか。たしかに、厳しいときは厳しいことを言って いただいてきましたけれども 今回は、セーフなんですね。了解しました。こ こわいなー。とにもかくにも いつも ありがとうございます。

- たまさま 読んでいただいたうえにポイントまでありがとうございます。 
- 羽衣なつのさま 読んでいただいたうえにポイントまでありがとうございます。 
- 新染因循さま 読んでいただいたうえにポイントまでありがとうございます。 
- 田中修子さま 読んでいただいたうえにポイントまでありがとうございます。 

---2019/05/17 11:16追記---
- そらの珊瑚さま 読んでいただいたうえにポイントまでありがとうございます。 
- たこすけさま あなたがお書きになり すぐに削除してしまわれた「平成土器」とい 
う作品がなかったら うかばなかったと思います。ありがとうございました。

- たこさま 読んでいただいたうえにポイントまでありがとうございます。 
- atsuchan69さま 読んでいただいたうえにポイントまでありがとうございます。 

 

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