頼むからヘラヘラと詩を読まないでくれ/一輪車
 
以下の方がこの文書を「良い」と認めました。
- らどみ 
- ひだかたけし 
- 帆場蔵人 
- 石村 
読み応えのある論でした。特に[棒読み」の説は面白い。小生は舞踏や演劇の世界には一向不案内ですので尚更興味深く拝読しました。
田中泯さんは以前にテレビドラマに出演されているのを見て、平成の世に稀なる存在感のある役者さんだと感心した記憶があります。1950年代の黒澤映画に出ていても何の違和感もない、人間性の厚みがありました。ああいう舞台芸術家を見ていると、自分も含め文学者の自己修練・鍛錬などというのは園児の砂あそびのような他愛もないものに思え、引け目を感じるばかりです(苦笑)
私自身は朗読をする気も、まして他人様にそれをお聞かせする勇気など全く持ち合わせません。芸術的な朗読をききたいという興味も乏しい。声の良い方が名作を淡々と読むのをきくのは、まあ心地良いだろうなとは想像しますが、自作を読まれたら恥ずかしくてきいちゃいられないでしょうな(笑)
- ぽりせつ 
田中泯…大野一雄、土方巽と並び、おそらくこの星で最後の一人となっても踊ることを止めない現代舞踊の英傑ですね。つまり客体を持たないのです、この方々は。この世に他者の存在を内在的に認めていないから衒いも遠慮も羞恥もなく振る舞える。薬や自己催眠(瞑想)を用いてその領域まで飛躍しようとする人はしばしば見られますが、彼らはそれすら必要としません。稀有な人種、強いて名前をつけるなら「芸術家」なのでしょう。
しかし、

>「朗読もセリフも棒読みが基本です」

この「基本です」が落とし穴なのです。山崎氏は棒読みを「是」とは言い切っておらず、あくまでも基本という。本質は棒読みをすることでなく虚でないことです。抑揚のない平坦なものいいが大抵の人間の日常的な話し方であることは誰しも肌感覚で解りますが、いちいち口調の強めな人も稀に、しかし確実にいますよね。そうした方の朗読やセリフの是は気持ちを入れてしゃべったり、抑揚をつけたりすることなのです。

>おそらく、おそらくである、観客はわたしの棒読みに近い声から、
>つくりものでないわたしを発見するだろう。

いいえ、しません。
それが落とし穴なのです。
その全力疾走が結局は、意思の非制御のための、予定された、造られた、演じられた全力疾走であればそこから虚はすでに始まっているのです。

俳優の「演じる」という行為、理性を保ちつつ己の内に己以外の何者かを閉じ込めるという行為自体、舞踏とは切り離して語る必要があると私は考えますが、共通しているのは「能動的であれ=嘘つくな」ということですね。

- Sisi 
学生の頃、私はポエトリーリーディングの授業を受けていたため、果たして棒読みという部分には思うところがありますが、ひとつの形として興味深く拝読いたしました。
8年ほど前、某朗読会へ参加した際に、毎回皆が賞嘆の拍手をする中、何が良いのかさっぱりわからない、ということがありました。会について否定はしませんが(そういう場所を必要としている人もいるでしょう)どうも肌にあわず、やはり悪い意味では馴れ合いのようで、少し気色が悪かったです。
失礼致しました。
以下の方がポイントなしでコメントを寄せています。
-
( も、もしよければ、「ド素人ラップ」をどぞ。。(´・ω・`
ド素人達がテキトーにやったこともない朗読やラップの真似事をしている(※そこらへんに転がってるメモを音に合わせててきとーに棒読みしたり、ふつうに喋ったりしてる)だけの、朗読やラップ未満のシロモノです。。(土下座)

http://po-m.com/forum/upfile/3986/150814071644.mp3
http://po-m.com/forum/upfile/3986/150814071955.mp3

https://soundcloud.com/user-409608276/me338lwxqbfe/s-ydFGN(完全版)

とても共感するところの多い考察でした。
ではでは失礼します。 )

---2019/02/27 09:51追記---
 
作者より:
みなさん、小生というより劣生の稚拙な論稿をお読みくださり
ほんとうにありがとうございます。

Home
コメント更新ログ