政治音痴の愚かな詩人たちよ/一輪車
 
以下の方がこの文書を「良い」と認めました。
- らどみ 
いつも、楽しく拝読させてもらってます。

2014年の第41回アングレーム国際漫画祭の慰安婦事案を思い出しました。
当時、韓国の国家機関が仕掛けた国際的な事案でしたが、日本から現地に電話した
いしかわじゅん氏は、日本から参加していた漫画家達は、なにも起きていない、
あるいは、知らないという返答をテレビで言っていて、ありゃりゃで、ますます、
いしかわじゅん氏が好きになりました。

曖昧な記憶のところもありますが、10年以上前、大村浩一さんがジェームズ北村さん達を呼んで、ポエトリーリーディングを開いた際、特別ゲストで、野村喜和夫先生がいらっしゃっていました。
彼に、客席から、今の詩人は、経済的に安定した詩壇(ギルド)みたいなものを形成して、何故、次の若手の詩人を育てないのかと聞いたのですが、明確な答えがなく、たくさん来ていた、当時、著名な若手の詩人さんたちからの大ブーイングもあり、うやむやにされてしまった。というか、僕も、皆に嫌われたくなくて、「あっ、すみません」なんて、お笑いに替えたリアクションをしたことを覚えています。

国際政治、国家戦略だけでなくて、寺山修司みたいに若い人に魅せられるタイプは、危険な状態にならないと出ない仕組みの日本では、野村先生のようなタイプがいるときの方が安心できるのかもしれません。

無党派層の私とは話は一致しなくても当たり前かもしれませんが
---2019/01/20 19:25追記---

一輪車さんは、癖のある文章書く人だと以前の老化のとき感じましたが、
今回は、数回読みましたが、無いのは、なぜでしょう?
諦観したか、何かの行動前なのか、或いは、私が変わったのか、わからないのですが、
無党派層の私ですが、一輪車さんや、復帰後、最初にコメントくれた、石村さんとも、
同じ感想です。「術中にはまった感じです」。
- 石村 
>そもそも人間が何であるか、世界が何であるかすら知らない

その一言に尽きます。詩人村の住人達には通じないでしょうが。
- ぽりせつ 
文章中間より少し下
>これを普遍...ピュアなものにならにということだ。
>エゴに裏打ち...ピュアなもので...。

ここは「ピュア」ではなく「安心」ではないでしょうか。
そして、

>損得や...不純なのであるし...。

こちらの「不純」こそ「ピュア」であり、
それ故に信頼性がないのではないでしょうか。

上記の言い換えで合っているなら私も賛成です。
違うというのなら一つの意見として納得です。

言葉じりを捕らえる意図はありません。

芸術の「美」が、綺麗や心地よいと同義でないように、
純粋や理念という言葉は
決して安心安全なものとは限りませんね。自他共に。

そのことを理解しなくては(詩を含む)芸術が、
なにか小難しい異次元の人達の暗号、として
扱われ続けてしまうのでしょうね。

その結果、表面のみを芸術風に取り繕った作品が
出来上がっていくのだと思います。

---2019/01/23 18:50追記---

ご返答ありがとうございます。
あなたは強いお人なのでしょう。

大抵の人間は、自分のためだけに生きること
には卑しさを感じてしまい、ついつい己の行
動原理が他者の利害に基づくような言い方を
してしまいがちですね。よく耳にする「あな
たのため〜」などの言い回しがそれです。

他者のために生きられる人間とは、自分のた
めだけに生きられない弱い人間でもあります。

上田秋声も恐らくはその例に漏れず「我もと
神にあらず」に始まる台詞は、一種の"宣言"
だったのではないでしょうか。理想実現のた
めに己を鼓舞させるための、あくまで宣言。

そういった意味で『「倫理」が幅を聞かせす
ぎている』状態とは、人間の造る共同体の健
全な姿なのだと私は思っています。

たしかに"大抵" "共同体" "倫理" "健全"などの
言葉とは別の次元に生息しなくてはならない
のが、真の芸術家(詩人)の有様ですが、そ
んな人間ばかりではきっと世界は保たない、
とも同時に思ってしまいます。

一輪車さんのような強い心をお持ちの方、真
の芸術家の素質を持つ人間とは宿命的に少数
派なのでしょう。
- 帆場蔵人 
---2019/02/10 20:15追記---
《だけどエゴが基本にある善行は、かれの生存がそこにかかっているのだから
変更などありえない。エゴに裏打ちされた善行こそがもっともピュアなものであるという思想が》
最近、純粋さについて詩を書いたところでそれが納得がいかない理由を気づかされました。この現実のエゴの部分が具体性を欠いていたためですね。観念的にしかかけていない。ありがとうございました。
 
作者より:
らどみさん 

石村さん

ぽりせつさん

コメントをくださりありがとうございます。
もう何十年も前から抱いていた詩人へのイライラをぶっつけてしまいましたが
これはわたしの思いの氷山の一角でして、
それでも、腹に抱えていたものの一部をわぁーと吐き出して、すこしだけすっとしました。

詩投稿掲示板に限らず「倫理」が幅を聞かせすぎているとおもうのです。
「尾畠春夫」さんのような善行を称える空気が支配的で、それに合ったものが選ばれるようなことをずっとやってきており、
詩表現を受け入れる器の幅が極度に狭められている。
うまくいえないのですがなにかジブリ的な感性や価値観が支配的である。^^
少年少女の世界ならそれでもいいのですが、大のおとながそれではあまりに寂しい。
世の中には"別のレベル"で動いているものもある。そういうものに目をあてることができない詩人など、ウソの詩人だとおもうのです。
たとえば『雨月物語』の上田秋声がラストに「お金の神様」!に語らせる次のようなことばの世界が詩を書く人たちの意識にないのは致命的だとおもいます。

 我もと神にあらず仏にあらず、ただこれ非情なり。非情のものとして人の善悪を糺し
 それにしたがふべきいはれなし。われは仏家の前業も知らず、儒門の天命にも関わら
 ず、異なる世界にあそぶなり

わたしが「エゴや損得がなさせる善行はピュアである(信頼できる。裏切らない)」といったのは、こういうことを指しています。
ぽりせつさんがおっしゃるような「だから安心できる」という気持ちも入っています。
これもわたしたちが生きる世界のひとつの相であるというあたりまえのことが一般生活者には常識として無意識にわかっているのに、
詩人と称する人たちには理解できないようです。
黒木和雄監督の映画『浪人街』で原田芳雄ふんする用心棒の浪人が最愛の恋人が悪代官に捕らえられて磔(はりつけ)になろうというとき、
周囲の人たちが「助けに行ってやれ!」と泣き叫ぶように要請し、本人もすべてを投げ売って女を救うために
殴り込みをかけたいのに「いやだ、1文でも、10文でも銭をくれなきゃ救けになんかいかない」と駄々をこねるシーンがある。
最大の見せ場なんですが、あれがこの歳になるまでわからなかったのですがね。ああいうの、ものすごく大事なことなんだということがすこしわかったような気がします。











---2019/01/21 07:38追記---

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