作者より:
読んで頂いた皆さん、ポイントどうもありがとう♪
ガトさん
自分を信仰?それは己の内なる他者を、という意味ですか?
いずれにせよ「信仰」という観点から述べるなら、
今の時代に生きる自己意識を確立した(これはこれで、明らかに神のスキーム、神の意図ですが)人間にとって、
信仰、「信じ仰ぐ」という受動的、感情/情熱的態度・意識だけでは神との繋がりを回復するのは不可能で、
そこに能動的な、理智的・直観的認識態度意識が加わるのが必然だと思われます。
そして、ある意味、その「自己努力」=「生きる力」を刺激覚醒し合う現実的な「声」として「温もり」として、現実の他者との繋がりが育まれる、
のではないでしょうか?もはや社会的経済的な打算やエゴイズムの一手段としての関係ではなく。
上手く説明し切れていませんが、そんな感じです。
「神自ら、もはや単に信じられることではなく理解され認識されることを求めている」−僕の敬愛するR.シュタイナーはそう述べていますが、この点は全くその通りだと思います\(__)
追伸
「理智的・直観的認識態度意識」というのは、換言すれば、感性的認識基盤に立ったエゴイスティックな感情に支配されない理智的判断=叡智、ということです。