”ネット詩”を経由して―/オダカズヒコ
 
以下の方がこの文書を「良い」と認めました。
- アラガイs 
馴染みのある織田和彦さん。まず紛らわしい名前をひとつに統一してください。大層な理由でもあるのでしょうか?(笑)
さてダーザィンこと武田氏の近況ですが、彼が代表であったときから文極と関わりのある詩書きならば気にならない筈はない。読んではじめて知りましたが、気がかりにもなります。彼も文極から退いてずいぶんと経過しました。。武田氏に限らず代表?のケムリ氏なども自身のブログには書き込みをされているという情報も知りました。文極から離れて行ったまま沈黙。素知らぬふり。内部の葛藤や私事の事情。詳しい情報など知る由もないのですが、これはちょっと理解に苦しむ行為だと個人的には思います。
あなたのおっしゃる通り、機能も充実し、自由に批評もできる文極へ投稿されてみては如何か、と言いたくなる優れた書き手の方が、無名有名に限らずこちらにも来られます。選考の是非は別にしても、試しに載せてみようか、などと思える文極の体制。なんとか整えてほしいものだと思います。



- 鵜飼千代子 
ダーザインさんの体調が心配です。
---2015/08/21 00:58追記---


〉例えば、日本現代詩人会という組織が、ホームページを持っています。
(H賞と現代詩人賞を出している団体ですね。)
まぁ、今時、無い方がおかしいんですがね。

知らない事を「欠席裁判」してもしかたがないし、一緒に過ごしていない知らない人が書いたネットの歴史は、どこのパソコン通信の現代詩フォーラムの話なのかわたしには別の似た惑星でそういうことがあったのだろうという感覚になったのですが、それは書き手に野心的な意味があるのかもしれませんね。

わかるところについて、捕捉します。

日本現代詩人会のホームページは葵生川 玲さんが、日本詩人クラブのホームページは村山精二さんが手掛けました。パソコンの歴史は浅く30数年、インターネットにあっては20年弱です、「しばらく様子をみて」という流れが強かったと推測します。パソコンもインターネットも、「横書きだから違和感がある」というところからはじまります。

むしろ、「言葉の意味」を俯瞰してデザイン的に語を配置する方の方が、「縦書きでも横書きでも言葉優先」の方よりも、先輩方のこだわりをわかっていただけるような気がします。先輩方のスタンスは、「詩の言葉優先」重ねて、「そもそも日本語は縦書き」なのですが。

文学極道の殿堂が日本現代詩人会のサイトに掲載されたことを「ネットと紙の垣根を越えた」と、安易に喜んではいけないように思います。もともとが、同じ詩書きなのに差別化する為に商業詩誌が広めた言葉じゃないんですか?「ネット詩」って。

ダーザインさんの、「詩壇との対抗」は実はひとりふたりではない詩人の中では根深くあって、詩の団体に属していたり、属さずに詩の商業詩誌で活躍されている詩人の中でも燻り続けていました。 それを世界に発信したのが「文学極道」でしょう。大きな仕事です。

殿堂の田中さんの業績が日本現代詩人会のホームページに載っていることは、逆の見方をすれば、「取り込まれて籠の鳥。」でしょう。けれど田中さんは、そうした詩の団体や商業出版社の息のかかったイベントにも参加されているようですから、日本現代詩人会のホームページに名前を出されて抗議をするということもないのでしょう。

紙媒体オンリーから、インターネットから入ってくる詩人が来るという未知に遭遇し、様々な体験をしました。

扱う文具が増えても、現実と一緒です。現実が嫌な人には、ストレスかもしれません。

わたし、茶道のことはあまり知らないのですが知っている情報からくるイメージとして、日本現代詩人会は「裏千家」日本詩人クラブは「表千家」の感じなのかなと思います。
会員がほぼ被っているし、出掛ける回数や会費のことを考えると合併した方がいいのではと言われながら現在に至るのは、それぞれ、どちらかでは他所行きの顔をして、どちらかでは自分らしくいるケースがあるのではないかと推測します。

千と千尋の神隠しよろしく、「かおなし」がうろうろしていそうな気もするのですが。

---2015/08/21 13:39追記---

---2015/08/21 20:51追記---

---2015/08/21 23:35追記---
>差別化の必要性があったのだとしたら、
どこにあったのでしょうか。考えてみると面白いかもしれません。

これは全くのわたしの個人意見で、現代詩フォーラムの参加者やインターネットに投稿している詩書きの代表でも総意でもなく、「皆さん習って!」という意図の無い個人意見です。(シツコイ)

現代詩は、学生運動が終着したあたりからマスコミと距離を置きました。それまでは、マスコミに対して強かったのではないかと思います。
フォークソングのシンガーソングライターがテレビに出ないのと似た現象があったのではと推測します。

差別化の必要についてですが、しつこいですがわたしの個人的な印象です。閉塞された詩の世界で、限りなく開いていきそうな可能性についての恐れと怯えもあったのではないかと。集団で、多数決で、受け入れたらどこに連れていかれるのかという、責任者としての不安。

また、狭い世界だから評価されていたという人も自分の立ち位置がぐらつくので泡を吹くでしょう。

わたしは、同じ詩を書く仲間を「ネット詩」と嘲笑うのは、穢多非人がなぜ必要だったのかだとか、韓国人が有事に暴動を起こしただとか、そういうレベルのお話だと思っているので、ちょっと普段の素晴らしい活動が似非(エセ)ボランティアなのではないかと引いてしまうところはあるのですが、そういう距離です。

なんでしょうね。
終着は、死んで何年も経った後に掘り起こされるような詩を今、じんわりと書いておけ。ということなのかもしれません。
詩人は、あらゆる団体の揉め事に巻き込まれる必要はないですから。

けれど、気持ちが乗れば、発表する機会も増えるので、大きな団体に所属するのもアリでしょう。(^-^)
- るるりら 

- りゅうのあくび 
- atsuchan69 
- 佐藤伊織 
- 構造 
正直体調がそんなに酷いことになっているとは知らなかった。
かつて文学極道初期に対立したのすら今となっては昔
隔世の感があるが、彼の功績については間違いなく疑いようの
ないものだと思う。

一度だけ電話で話したことがあったな。
彼が書いた文章で、
俺が牛の糞の精緻な描写をした詩を投稿してダーザインを
バカにしたといったことが書いてあったのだが、
俺はまったく覚えがなかった。
頭にきてダーザインの知り合い経由で
電凹したのだが案外穏やかな声だったので驚いた。
だが、俺が"書いていない"と否定したことについては
なぜか"いや、片手間でもああいうのを書けるのは凄い"
と耳を貸してくれなかったのが印象的だった。
- チアーヌ 
- 高橋良幸 
- 天才詩人 
- 光冨郁埜 
 
作者より:
◇アラガイさん
>内部の葛藤や私事の事情。詳しい情報など知る由もないのですが、
>これはちょっと理解に苦しむ行為だと個人的には思います。

ぼくは以前、内部にいたことがあるので事情は推察できます。

◇鵜飼千代子さん
>ダーザインさんの体調が心配です。
>---2015/08/21 00:58追記---

そうですね。

>知らない事を「欠席裁判」してもしかたがないし、
>一緒に過ごしていない知らない人が書いたネットの歴史は、
>どこのパソコン通信の現代詩フォーラムの話なのか
>わたしには別の似た惑星でそういうことがあったのだろうという感覚になったのです>>が、それは書き手に野心的な意味があるのかもしれませんね。

「ネットの歴史」は、彼らとは全く違うものを、ぼくもまとめてみたいと考えています。


>わかるところについて、捕捉します。
>日本現代詩人会のホームページは葵生川 玲さんが、
>日本詩人クラブのホームページは村山精二さんが手掛けました。
>パソコンの歴史は浅く30数年、インターネットにあっては20年弱です、
>「しばらく様子をみて」という流れが強かったと推測します。
>パソコンもインターネットも、
>「横書きだから違和感がある」というところからはじまります。


>むしろ、「言葉の意味」を俯瞰してデザイン的に語を配置する方の方が、
>「縦書きでも横書きでも言葉優先」の方よりも、
>先輩方のこだわりをわかっていただけるような気がします。
>先輩方のスタンスは、「詩の言葉優先」重ねて、
>「そもそも日本語は縦書き」なのですが。


貴重な情報、ご意見、どうもありがとうございます。

>文学極道の殿堂が日本現代詩人会のサイトに掲載されたことを
>「ネットと紙の垣根を越えた」と、
>安易に喜んではいけないように思います。
>もともとが、
>同じ詩書きなのに差別化する為に商業詩誌が広めた言葉じゃないんですか?
>「ネット詩」って。


差別化の必要性があったのだとしたら、
どこにあったのでしょうか。考えてみると面白いかもしれません。

>ダーザインさんの、
>「詩壇との対抗」は実はひとりふたりではない詩人の中では根深くあって、
>詩の団体に属していたり、属さずに詩の商業詩誌で活躍されている詩人の中でも
>燻り続けていました。 それを世界に発信したのが「文学極道」でしょう。
>大きな仕事です。


詩壇、文壇などと、マウンティングみたいなのは、昔からあるようですね。

>殿堂の田中さんの業績が日本現代詩人会のホームページに載っていることは、
>逆の見方をすれば、「取り込まれて籠の鳥。」でしょう。
>けれど田中さんは、そうした詩の団体や商業出版社の息のかかったイベントにも
>参加されているようですから
>日本現代詩人会のホームページに名前を出されて
>抗議をするということもないのでしょう。


このへんのドグマ的な話はぼくの理解の及ぶ範囲ではないので、
なんとも申しあげられませんが、
この数年の間に、大きな変化があったこと、世代の交代にともない
それは加速するであろうこと、それを考えています。

>紙媒体オンリーから、
>インターネットから入ってくる詩人が来るという未知に遭遇し、
>様々な体験をしました。


つまり上記の話は↑こういうことを含めた体験のことだと考えています。



>現代詩は、学生運動が終着したあたりからマスコミと距離を置きました。
>それまでは、マスコミに対して強かったのではないかと思います。
>フォークソングのシンガーソングライターがテレビに出ないのと似た現象が
>あったのではと推測します。


そういうお話をお聴きしていると、ネットの歴史も、紙媒体を含めた、
現代詩の大きな流れの中でとらえないと、全容はつかめん、という話になります。

>差別化の必要についてですが、しつこいですがわたしの個人的な印象です。
>閉塞された詩の世界で、
>限りなく開いていきそうな可能性についての恐れと怯えもあったのではないかと。
>集団で、多数決で、受け入れたらどこに連れていかれるのかという、
>責任者としての不安。

>また、狭い世界だから評価されていたという人も自分の立ち位置がぐらつくので
>泡を吹くでしょう。


「ネット詩」って、誰の造語か知りませんが、ぼくの場合は、全く悪い印章はもっ
ていないのです。従って、そこに差別の構造があるとも思っていない人間なのですが、
文極はそこに不満を持っていた武田さんをはじめとする人たちが立ち上げたサイトで
あることは、むろん、知ってます。
鵜飼さんが仰るようなことが、あるとしたら、文極の正義とは「革命」だったのでし
ょうね。ある社会の中にある文化が、非常に熱(エネルギー)を帯びて存在するとい
うことは、とても重要なことです。

>わたしは、同じ詩を書く仲間を「ネット詩」と嘲笑うのは、
>穢多非人がなぜ必要だったのかだとか、韓国人が有事に暴動を起こしただとか、
>そういうレベルのお話だと思っているので、
>ちょっと普段の素晴らしい活動が
>似非(エセ)ボランティアなのではないかと引いてしまうところはあるのですが、
>そういう距離です。


権威、というものは、結局そういう性質のものなのかもしれません。

>なんでしょうね。
>終着は、死んで何年も経った後に掘り起こされるような詩を今、
>じんわりと書いておけ。ということなのかもしれません。
>詩人は、あらゆる団体の揉め事に巻き込まれる必要はないですから。


「じんわり書いておけ」
名言ですナ。(-。-)y-゜゜゜

>けれど、気持ちが乗れば、発表する機会も増えるので、
>大きな団体に所属するのもアリでしょう。(^-^)


現世利益に与るとすれば、そういう処世の態度が当然必要でしょうね。
しかし詩人が金と名誉を必要とするでしょうか。(-_-;)

◇るるりらさん、どうもありがとうございます。
---2015/08/21 22:32追記---

---2015/08/22 00:27追記---

---2015/08/30 03:26追記---

◆竜野息吹さん、どうもありがとうございます。
◆atsuchan69さん。どうもありがとうございます。
◆佐藤伊織さん、どうもありがとうございます。
◆構造さん
>正直体調がそんなに酷いことになっているとは知らなかった。
>かつて文学極道初期に対立したのすら今となっては昔
>隔世の感があるが、彼の功績については間違いなく疑いようの
>ないものだと思う。

ぼくも彼の存在によって(彼が居たか/居ないかによって)その後
の流れが違っていたと思います。

>一度だけ電話で話したことがあったな。
>彼が書いた文章で、
>俺が牛の糞の精緻な描写をした詩を投稿してダーザインを
>バカにしたといったことが書いてあったのだが、
>俺はまったく覚えがなかった。
>頭にきてダーザインの知り合い経由で
>電凹したのだが案外穏やかな声だったので驚いた。
>だが、俺が"書いていない"と否定したことについては
>なぜか"いや、片手間でもああいうのを書けるのは凄い"
>と耳を貸してくれなかったのが印象的だった。

構造さんからみた、詩とインターネットの歴史という視点も
面白そうですよね。
---2015/09/11 04:38追記---
◆チアーヌさん、どうもありがとうございます。

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