作者より:
---2015/06/16---
かつて日本は、西洋諸国と同列に並ぼうと軍事力を増強し、八紘一宇等の美名を掲げて近隣諸国を侵攻し、最終的には世界で唯一原子力爆弾を投下され、敗戦しました。敗戦に至るまでに、戦争によって夥しい民間人がむごい死に方をし、あるいは絶筆に尽くしがたい過酷な状況に置かれました。そこから憲法で戦争の放棄を定め、以来、世界で類を見ない平和的な国を築いてきました。
日本がこのような歴史を持っていてなお、集団的自衛権について『「律儀」に議論』しているのは日本のみだと、議論を重ねること自体を小馬鹿にしていると受け取れる言い方を繰り返す孤蓬さんの感性が、私にはわかりません。
そのような感覚の人に何を言われようと、私の心は動きません。
ご自由にどうぞ。
---2015/06/17---
相変わらず「みんなと同じにすればいい」という考えを根底に持った論理展開とお見受けします。
「みんなと同じにしたくない」ということを言ったら糾弾されそうですね。
私は、他の国がどういうことをした、こういうことをしたという事例、それが日本に向けられた行為で、それに対して日本がしたことについてならともかく、そうではないものをいくら挙げたところで、日本がしたことの正当化にはならないと考えますし、また、人々が受けた苦しみが癒されるものとも考えません。
他国が軍国主義かどうかについての判断は、その国の方々や専門家にお任せします。
私にとって大切なのは、他の国どうこうより、過去の惨禍を繰り返さないために手を尽くすということです。
---2015/06/18---
投稿作をお読み頂きありがとうございます。
断定的に主張することと危惧を表明することを同一に扱っていらっしゃることは、恣意的な解釈であるとか、言葉に対して不誠実であるということにはならないのでしょうか。
さて、私には何が「明白に証明」されているのかさっぱりわかりませんが、仮に孤蓬さんの主張が正しいとして、『「律儀」に議論』していれば日本が軍国主義的ではないといえるのでしょうか。専門的な知見を持っている多くの方々が憲法違反と指摘していても、多くの国民が疑問を感じていても、反対意見を押し切ってできるだけ早く法案を成立させようとすることは、民主主義的に問題があるということにはならないのでしょうか。
---2015/06/20---
私は、日本全体が軍国主義的だと主張しているのではなく、軍国主義的と言われても仕方のないような事態が日本の政治の中枢で進行しているのではないかと懸念していると前から申し上げていますが、「①貴台は、昨今の集団的自衛権の議論等に絡めて、日本のことを「軍国主義的」と主張。」と決めてかかっているのは孤蓬さんでしょう。だから断定的に主張することと危惧を表明することを同一に扱っていらっしゃると申し上げているのですが、おわかりになりませんか。
重ねて申し上げますが、私は、日本が軍国主義的だと主張しているのではありません。むしろそうであってほしくない、これからもそうでないと確信し続けたいと願っています。
しかし、孤蓬さんのお話を伺っていて、本当に心配になってきました。
---2015/06/20---
孤蓬さんにとっての「常識的な判断」は、私にとっての「常識的な判断」ではありません。また、軍国主義といえるかどうかについて、明確な基準があるとも思っていません。
私は日本が集団的自衛権を行使可能にすることについての議論は十分に尽くされているとは思っていませんし、国民の意思を反映する手続きが十分に取られているとも思えません。国民の意思が反映された政治が為されているかどうかは、軍国主義的といえるかどうかに関して、一つの大きな視点になると考えています。
ここまで、孤蓬さんには驚くほどの独善と高圧的な押し付けがましさを見せて頂きました。私は、日本が厳密な軍国主義の定義に該当するかどうかということに恐れを抱いているわけではありません。私が恐れているのは、孤蓬さんにお示し頂いたような精神のありようです。これは、私がイメージする軍国主義的な精神にぴったり一致します。孤蓬さんのような方が政権側に付いて、かくかくしかじかの理由から日本は軍国主義にあたらないのだと擁護し続ければ、政権は安心して軍国主義的な傾向を強めていくことができるでしょう。実質的にどこからが軍国主義だなどという線引きはないでしょうから。
孤蓬さんは一体どうしたいのでしょう。私からすれば、孤蓬さんは、日本は軍国主義ではないと思っていらっしゃる、私は軍国主義的になっていくことを恐れている、そして私は孤蓬さんの考え方には同意しない、それだけです。ご自分でご自分の考えが論証できたと自任していらっしゃるなら、それでいいではありませんか。私の考えは変わりません。
これまで私のことを、恣意的で不誠実で好戦的、そして不勉強で理解力に欠け、支離滅裂な発言をしている等々といったように評されていると理解していますが、私は孤蓬さんにそう思われても一向に構いません。そのような人間を教化しようとしても無駄です。
---2015/06/21---
直近のコメントを一部修正します。
「日本が集団的自衛権を行使可能にすることについての議論は十分に尽くされているとは思っていません」のところ、「十分に尽くされている」ではなく「慎重に議論」に修正します。「十分に」では、議論に費やす時間の長さを言っているように見えてしまいますが、これまでの孤蓬さんとのやり取りで、ものごとの認識がまったく異なる者同士が議論を続けても、結局はかみあわない議論に終始するだけということがよくわかりましたから。
ところで、孤蓬さんは「ここでの論点は「軍国主義」に関すること。「民主主義的」云々は論点から外れます。」とおっしゃっていますが、一方で、「自衛権について60年以上も「『「律儀」に議論』」するような慎重な国が、そういうことには無頓着な各国と比べて「軍国主義的」という評価になることは、常識的な判断として、ありえないでしょう。」とおっしゃっています。これは、民主主義な手続きが確保されていれば軍国主義とはいえないという考えを前提にしたご意見と受け取っていたのですが、違うのでしょうか。その考えからすれば、民主主義的な手続きが十分に確保されているとは思えない、すなわち国民の意思が十分に反映された政治が為されていると思えないので、孤蓬さんのご意見には同意できないと申し上げているのですが。
私はどんなに議論時間を取ったとしても、ただ国会での多数によって押し切って法案を成立させるようでは、慎重に議論しているとはいえないと考えます。
---2015/06/22---
―「かみあわないのは、認識が異なるからではなく、論理を解さぬ論者が居るからです。」
このようなお考えの場合、孤蓬さんが認める論理を認めない人間は、「論理を解さぬ論者」ということにはなりませんか。
人それぞれ育ってきた環境も異なれば、当然のこととしてきた価値観にも違いがあるでしょう。人によってものごとの捉え方は異なります。ある人にとっては「常識な判断」でも、ある人にとっては「何を言っているのかなぁ…。根本的におかしいよ。」という受け取り方にもなり得ます。
―「具体的根拠に基づいた論理的反論を一切行わず、自分が情緒的に執着する所信を根拠もなく繰返すのは、そもそも議論ではありません。」
これまでのやり取りが議論ではないとおっしゃるなら、それはそれで構いません。私としても、もとよりここを議論する場とは考えていませんので。
しかし、具体的根拠のある論理でなければ議論ではないといえるのでしょうか。統計的なデータ等は論理に説得力を持たせることはできますが、論者の意図によって使いたい部分のみを抜き出して解釈を加えること、それこそ恣意的に扱うことが可能です。
さて、「自衛権について60年以上も「『「律儀」に議論』」するような慎重な国が、そういうことには無頓着な各国と比べて「軍国主義的」という評価になることは、常識的な判断として、ありえないでしょう。」とおっしゃってきた意味が、今回ご説明いただいた意味だったとは驚きました。
これではやり取りがかみあうわけがありません。私は日本全体が軍国主義化していると思っていない、軍国主義的と言われても仕方のないような事態が日本の政治の中枢で進行しているのではないかと懸念していると申し上げてきました。
今回ご説明いただいた内容と、上記の私の考えの間に対立点はあるのでしょうか。
私は、当初から孤蓬さんが問題にしてこられたのは、「これだけ民主主義な手続きが確保されている日本を軍国主義的と評価することは、常識的な判断としてありえない」という趣旨と解しておりましたので、集団的自衛権を行使可能にすることについて、専門的な知見を持っている多くの方々が憲法違反と指摘していても、多くの国民が疑問を感じていても、反対意見を国会での多数によって押し切ってできるだけ早く法案を成立させようとすることは、民主主義的な手続きが十分に確保されているとは思えない、慎重に議論しているとはいえないと申し上げたのですが。
―「十人十色、人それぞれ「意思」は異なります。誰の「意思」を以て、「国民の意思」とするのですか?」
まさに、それぞれ考えの異なる国民の意思を反映させるために代表民主制があるわけで、選挙によって国民の代表として国会議員を選出し、国会議員による議論を経て立法を行っているわけですね。
「それぞれ考えの異なる国民の意思を反映させる」ことが目的のはずなのですが、現在の国会にはこの点において問題があります。
まず、一票の格差の問題があります。違憲ないしは違憲状態という判決が出されても、是正は、はかばかしく行われてはいません。
また、昨年末の衆議院選挙で、安倍首相は経済政策が争点だと明言して多数を得ました。集団的自衛権を行使可能にすることについては、争点とおっしゃっていません。その衆議院での多数によって押し切って法案を成立させることは、民主主義的に非常に問題があると考えます。
加えて、集団的自衛権の行使を可能にするという議論は、長年されてきたものではありません。これまでの政府見解まで覆す解釈を安倍政権は行おうとしています。
正当な政策であるという自信があるなら、再度争点として衆議院選挙を行うなり、憲法改正の手続きを取るなり、国民の意思を十分に反映させる努力を尽くしたと、慎重に議論を行ったといえる方法を取るべきです。
---2015/06/23---
ウェブサイトのご紹介、ありがとうございます。私も「議論」をしようとする際には参考にさせて頂きましょう。
当初から孤蓬さんがどうされたいのか、測りかねていたのですが、ここにきてやっと望んでいらっしゃるやり取りはご紹介頂いた「議論」とわかってきました。
結論から申し上げますと、私は孤蓬さんの望まれる「議論」の相手として適任者ではありません。「そもそも」になってしまいますが、私は「議論」をするために投稿しているわけではありませんし、意見の異なる方を説得しようとしているわけでもありません。
単に個人的に、自分にはこう見えるということを表明しているわけで、読まれた方のご意見・ご感想はご意見・ご感想として受け止めますが、「議論」はお受けできません。
また、私が「日本の軍国主義化なんて 他国に言われても 笑っていられたのに 今はもう 笑えない」と書いたことについて、私としては自分はこういう意味で言っているとお伝えしたこと、それに関して、違うと言われても、それは受け取り方でしょうと申し上げるしかありません。
孤蓬さんがどう受け取るかは孤蓬さんの自由です。
それから、国連憲章第51条と、条約法に関するウィーン条約第26条について。
ウィーン条約第26条 効力を有するすべてのの条約は、当事国を拘束し、当事国は、これらの条約を誠実に履行しなければならない。
とありますが、これを根拠に国連憲章が各国の憲法に明らかに優位するとはいえないと考えますし、集団的自衛権は権利であって義務ではありません。大きい集団内の、より小さい集団内で、その集団独自の権利制限を設けることは可能です。属する集団内のルールに不満ならば、その集団内のルールを変更するか、その集団を出るかでしょう。
最後に、公約について、主権者は知らなかったと言えないでしょうというのは、形式的にはもっともな理屈だと思います。
しかし、フォーカスから外れた部分に写っている写真を渡されて、ほら写っているよと言われるようなものに私には思えます。欺いているという感じがぬぐえません。
---2015/06/24---
条約について、義務を負う条項を留保することは理解できますが、権利がありますよという条項を留保する必要性は感じません。国内法で制限すればよいでしょう。
以前書いたことをそのまま再度書きます。私は、日本全体が軍国主義的だと主張しているのではなく、軍国主義的と言われても仕方のないような事態が日本の政治の中枢で進行しているのではないかと懸念しています。
私が切迫した危機感を抱いているのは、安倍政権に対してです。
孤蓬さんのおっしゃる2012年の衆院選の時点で、私はまさか歴代政権の憲法解釈を覆す解釈を強行するようになるとは、夢にも思いませんでした。少なくとも憲法改正の手続きを踏むなり、法治国家として恥ずかしくない手続きを踏むものと思っていました。現在安倍政権が行おうとしていることは、とても公約の範囲内として許容できるものではありません。
---2015/06/25---
国連憲章第43条・第45条については、孤蓬さんが最初におっしゃっていた第51条と読みまちがえました。失礼しました。
私は、1952年に日本が国連への加盟申請をした際に、「『わが国の有する』あらゆる手段をもってこの義務を遵守することを約束する。」と宣言している、つまり憲法違反となるような手段は用いないことを明言していると理解しています。
また、国連憲章第43条の特別協定締結は、これまでどの国との間でも締結されていないと理解しています。
現実的に、日本が国連憲章第43条・第45条に違反しているとして国際的な非難を受けるとは思えません。
―「ややトーンアップですが、まだ詭弁ですね。」
ややトーンアップも何も、私は何も変えていません。
孤蓬さんはご自分のことを、とても論理的だと自負されているようですが、私にはまったくそのようには思えません。
―「>夢にも思いませんでした
本当?」
私は「孤蓬さんのおっしゃる2012年の衆院選の時点で、-中略- 夢にも思いませんでした。」と書いています。
2012年の衆院選の公約を持ち出したのは孤蓬さんでしょう。
悪意のある嫌がらせはやめてください。
---2015/06/26---
国連憲章の件。
「憲法違反となるような手段は用いないことを明言していると理解しています」と申し上げたはずです。自衛隊は憲法違反というお考えでしたら、他で「議論」なさってください。
また、湾岸戦争の際に、日本が国連憲章第43条・第45条に違反しているとして国際的な非難を受けたとは考えません。
選挙公約について、私が申し上げているのは、主要な政策は、ピンボケ写真のようなものではなく、争点として明確に提示すべきだということです。孤蓬さんから見れば明確なのかもしれませんが、私には明確とは思えません。広く国民に明確にわかるように提示するのが政治の責任と考えます。
重ねて申し上げますが、私は自分の考えについて「議論」する気はありません。
私が申し上げたことの一部を切り取って揚げ足取りばかりされていますが、それでも悪意はないとおっしゃるのでしたら、言い方を変えます。
嫌がらせはおやめください。
---2015/06/27---
at its disposal
日本が「行使できる」手段、ということは憲法の範囲内の手段ということでしょう。
湾岸戦争の際に非難されたということ、それをもって解釈改憲の理論で集団的自衛権を行使可能にすべきとは考えません。
先に申し上げましたように、現実的に、日本が国連憲章第43条・第45条に違反しているとして国際的な非難を受けるとは思えませんし、さらには、第2次湾岸戦争とも呼ばれるイラク戦争については、戦争の正当性があるといえるのかが後々大きな問題になりました。
日本が集団的自衛権を行使可能とすれば、今後、このように正当性が疑われるような戦争にも参戦していく可能性が高まると考えます。
選挙公約が明確であったかどうかは、孤蓬さんの受け取り方と私の受け取り方は違うと申し上げたはずです。私から見れば、国民に受け入れられやすいと思われる政策を前面に出してそちらに注意が向くようにしているずるいやり方に見えます。
孤蓬さんの論法を見ていると、政策の一つとして書いてあれば、国民にはまさかこんなことになるとは思わなかったと言う権利などないと言わんばかりですね。
議員は国民の税金から報酬を得ています。国民のために政治があることをお忘れなく。
論理的欠陥の指摘ですか。
「議論」する気はないと言っている相手に、ご自分の論理に合わない点をピックアップしてあげつらうのは嫌がらせとは呼ばないのでしょうか。私には十分嫌がらせと感じられます。
---2015/06/28---
私が申し上げたことは、願望ではございません。
今までのやり取りを通して、返答するために調べることによって、私は自分よりも深い考えを持って論理展開をされている方の論文を知ることもできましたし、勉強にもなりました。結論として、やはり集団的自衛権を行使可能にすることは、日本にとって選択すべき道ではないということを確信することができました。
知見を深めるきっかけをくださったという意味では、孤蓬さんに感謝いたします。
ただ、私の言っている内容が変わってしまうような手前勝手な意見の切り取りはいただけません。論理的欠陥の指摘だとか、私の論理の矛盾を指摘しているとかおっしゃっていますが、孤蓬さんからは、ご自分の論理は正しいという前提のもと、その「正しい」論理を解さぬ馬鹿者の誤りを正してやるという押し付けがましさしか感じられません。
そこには、あなたの意見はこうなんですね、しかしこういう考え方もありますよ、私はこういう理由からこう考えます、といった姿勢は見られません。私は、実りある意見交換をするには、そういった姿勢が必要と考えます。
孤蓬さんには孤蓬さんご自身の意見に固執する自由があります。
私にはもうこれ以上申し上げることはありません。
---2015/06/29---
それではお尋ねします。
解釈改憲によって集団的自衛権を行使可能とすれば、今後イラク戦争のような事態が発生した場合、日本はもはや憲法を理由として海外派兵を断れなくなり、参戦していくことになると考えます。それでよいとお考えですか。国連憲章について孤蓬さんが述べてこられたことからすると、参戦していくことを是としていると思われます。
実質的に参戦していくということは、憲法9条に明らかに違反します。どうしても集団的自衛権を行使可能にしたいなら、憲法9条を変える手続きを取るべきです。今国会で集団的自衛権が行使可能になれば、憲法9条は意味をなさないものになってしまいます。こんなことがまかり通るなら、日本は法治国家といえないでしょう。
また、「安保法制が公約に明記され報道や野党による与党批判の標的となり選挙前に国民周知となった事実は否定しようがありません。」とおっしゃっていますが、アベノミクスを掲げ、消費税率の引き上げ延期を争点として衆議院選挙を行ったことは事実です。民意を得ていると言いたいなら、集団的自衛権を行使可能にするということを争点にして衆議院選挙を行うべきです。民意を得ている自信がないから行わないのでしょう。だからずるいと言っているのです。
孤蓬さんの理屈には私はまったく納得していませんが、そのように理屈を並べて、その先には何があるのですか。軍事力を増強し、集団的自衛権を行使可能にしてアメリカと連携を強化し、中国に対抗すべきというお考えですか。
私はそれが日本の取るべき道とは考えません。軍事ではなく、平和憲法のもとでできる国際貢献に力を入れていくべきと考えます。
---2015/06/30---
私は「議論」など求めていません。
私を罵り続ける孤蓬さんの料簡を伺っているのです。
吐き気を催す孤蓬さんとのやり取りに私がこれまで耐えてきたのは、日本が普通に戦争をする国になってほしくないという一念からです。
「解釈改憲によって集団的自衛権を行使可能とすれば、今後イラク戦争のような事態が発生した場合、日本はもはや憲法を理由として海外派兵を断れなくなり、参戦していくことになると考えます。それでよいとお考えですか。国連憲章について孤蓬さんが述べてこられたことからすると、参戦していくことを是としていると思われます。」この問いに答えられないのはなぜですか。
孤蓬さんの「論理」は何のためですか。集団的自衛権を行使可能にすることにあくまでも反対する馬鹿者を成敗して、一刻も早く戦争できる日本を取り戻すためですか。
これまでのやり取りを振り返ると、論理的帰結としてそういうことになるでしょう。
消費税率の引き上げ延期を争点として行われた2014年の衆議院選挙は、投票率の最低記録を塗り替え、小選挙区での自民党の得票率は48%にもかかわらず、議席占有率では76%。孤蓬さんのおっしゃる「圧勝」が、集団的自衛権を行使可能にすることについて民意を得ている証拠にはなりません。「今更知らぬふりをする一部国民」とは何のことですか。
論理のすりかえを行っているのは孤蓬さんでしょう。
※文字数制限のため、やむを得ず2015/06/14前半までのコメントを削除しました。
---2015/07/01---
私は「議論」はお断りし、孤蓬さんご意見に対して私の意見を述べてきました。
「議論」も「論拠」も求めていません。
「吐き気を催す」は孤蓬さん個人のことを形容しているのではなく、「孤蓬さんとのやり取り」で感じた私の感覚のことを言っているのです。
孤蓬さんは6/28のコメントで、「-略-貴台は何ら有効な論拠も傾聴に値する論理も示しえず-中略-悪意に充ちた戯画化で好戦的に平和を語る自家撞着、国民の意思を代弁するかのような恣意性、論理的劣敗を相手の「押付がましさ」にすり替える不誠実性-略-」とおっしゃっています。
私はこのコメントを、孤蓬さんの主観に基づくご意見と受け取っています。
「私は単に貴台の論理破綻を指摘しているのみ」とおっしゃっていますが、これも孤蓬さんの主観でしょう。
こういった主観で私を断じる孤蓬さんが、どういう考えをお持ちなのかお尋ねしているのです。
再度申し上げます。
2014年の衆議院選挙の結果によって、集団的自衛権を行使可能にすることについて民意を得ているとは言えません。民意を得ていると主張したいなら、集団的自衛権を行使可能にするということを争点として選挙を行うべきです。
「事実に真摯な目を向けられる事を祈念します。」この言葉はそのままお返しします。
※文字数制限のため、やむを得ず2015/06/15までのコメントを削除しました。
---2015/07/02---
自分の立場を明らかにせず、私を叩きたいから叩いていると理解しました。
---2015/07/03---
お気の毒…