はしご/やまうちあつし
 
以下の方がこの文書を「良い」と認めました。
- 鵜飼千代子 
幼児期に大人には理解し難い空想のような思い出話をする子供がいて、それは産道の記憶を語っているのだという説がありますが、それを派生させたような印象を持ちました。

小さな頃風邪で高熱を出した時などに何度か見た夢なのですが、大人でも一抱えあるほどの(神社にあるような巨木)丸太がどんどん周りに押し寄せてくる。逃げよう逃げようと掻き分けて進んでいくと、丸太が徐々に細くなり光の先にのどかな東屋が現れる、ところで目が覚めました。わたしは鉗子分娩で産まれ、生まれたあとしばらくは福禄寿のような頭の形をしていた(落花生のような形)といいます。加えて観察力の凄まじい父に「斜頸」であることを発見され、産後まもなく毎日電車に乗って首のマッサージに母が連れて通ったと聞いています。

そうしたわたし自身の持ち合わせがあった上でこの詩を読んだ時に、主題を巧みな喩で書いた詩ではなく、書きたいことを自分の持ち合わせをかき集めて詩にしたのではないかという印象を持ちました。ここまでは、詩作品の書き方についての印象です。

ここから作品についての感想をお話します。前記どちらの書き方で書かれていたとしても、作品の感想として共通していると思います。文頭で、「派生」と申しましたが、「第二次性徴の発現」のような印象を持ちました。「思春期」ですね。とてもそんな年齢ではないし、社会では役割も担っている。「第二次性徴の発現」とは「中二病」と言いたいのかと、不愉快になられるかもしれません。

詩は、社会の観察下と隔てたところで書かれることの多い文学です。生活するにおいておざなりにしていた自分の内面をえぐる詩が書かれることもあるのだと思います。

作者が中学生だとカミングアウトされても昨今の義務教育下の子供たちは達者なので驚きませんが、そうではなくどこか青春に忘れ物をしてきた、いい大人の「二次成長」に向き合う詩なのかなと思いました。自分の持っている引き出しを全部ひっくり返して、「はしごを/昇っていくだけ」の未来で、楽しみや喜びを見出していただきたいと思いました。

- 衣 ミコ 
肉球で梯子を登り続けるのはキツいにあ!
- 阿ト理恵 
 
作者より:
鵜飼千代子さん、コメントありがとうございます。ある朝起きたら、猫がはしごを昇ってゆく絵が頭に浮かび、何とか残したいと思って書きました。何を意味するのか自分でもわからないのですが、今の自分にとって大切な絵のような気がしました。作品にする際、あまり技巧を凝らさず、淡々と記録するよう努めました。この詩に関しては、言葉の響きや美しさではなく、単なるスケッチとして放り出した方がよい気がしたのです。タイトルを「はしご」にしたのは、ミロの絵にしばしば登場するはしごのことが頭をよぎったので・・・。

衣 ミコさん、コメントありがとうございます。肉球にはしごがめりこむ様子が頭に浮かんだので、書きました。肉球って、感覚はあるんでしょうか。

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