北朝鮮としての日本/動坂昇
 
以下の方がこの文書を「良い」と認めました。
- トキハ ススム 
- 砂木 
どちらも背景や 経済やいろいろ思いがあり
正論ばかりでは越えられないのでしょうかね。
こわいです。
 
作者より:
 トサマキエウさん、コメントありがとうございます。
 なるほど、確かにそういう違いはあります。しかし、彼らの衛星打ち上げロケットがミサイルに転用できるということ、そして私たちの原発が核兵器に転用できるということ、この点で両者はよく似ています。
 ところでわたしたちは、彼らの衛星打ち上げロケットを「ミサイル」と呼びながら――ちょうど彼らが彼らの衛星打ち上げロケットをミサイルとは呼ばないのと同じように――わたしたちの原発を「核」とは呼びません。
 なぜか?
 彼らがどこまでも彼らでありつづけようとしているのと同じように、わたしたちがどこまでもわたしたちでありつづけようとしているからです。彼らがわたしたちの目で彼ら自身を見ようとしないのと同じように、わたしたちは彼らの目でわたしたち自身を見ようとしません。
 その意味で、わたしたちは彼らにほんとうによく似ています。
 わたしたちが彼らのなかに見ているものは、実はわたしたちそのものです。にも関わらず、わたしたちは、自分たちは彼らとは違うと言いつづけてきているのです。
 さて、今回彼らの政府はわたしたちの予想に反して失敗を即座に認めましたが、わたしたちの政府は事故後どうだったでしょう?

 蛾兆ボルカさん、ポイント&コメントありがとうございます。
 すべてにおいて同感です。

---2012/04/15 10:38追記---
トサマキエウさん、返信ありがとうございます。わたしの思うに、「人の数だけ解釈がある」ということは、対話の前提とすべきことであって、結論とすべきことではありません。

砂木さん、ポイント&コメントありがとうございます。おっしゃる通りだと思います。わたしたちと彼らの硬直ぶりはほんとうにこわいことです。彼らの政府はロケット打ち上げを行いつづけるでしょうし、わたしたちの政府は原発を再稼働させるでしょう。わたしもこわいです。しかし砂木さんやわたしはすでに真実に向き合う姿勢を持っています。なぜなら、真実とはいつもわたしたちがおじげづかずにはいられないようなものであって、こわいと思った瞬間にはすでにわたしたちは真実を見ているからです。おそれずに、とは言いません。おそれましょう。これが真実です。

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