残照 / ****'98 '01改編/小野 一縷
 
以下の方がこの文書を「良い」と認めました。
- 吉岡ペペロ 
- salco 
内なるドッペルゲンガーに犯された後の倦怠、とでも捉えて宜しいのでしょうか。
>太陽というには あまりに白く巨大な門
いつものオリジナルな、秀逸な表現だと感嘆しましたが、トランス状態とは思えない、とても倦んだ、醒めた意識で書かれていますね。
- 高梁サトル 
- subaru★ 
 
作者より:
本田憲嵩さま、ありがとうございます。
 
ヒロア木さま、ありがとうございます。

salcoさま、いつも嬉しく思っています。
ええと、誰もここを読んでいないでしょうから
ブッちゃけて書きます。私もTも、散々トランシーな
ことをしてきました。私はドップリどつぼにハマり
中毒・禁断症で何度か入院していますが
Tは、依存症ではあっても中毒まではいかなかったです。
中毒症と依存症、はたからすると違いなく思われがちかと。
実際は中毒になると、医者や施設にかからざるをえません。
依存の段階でも禁断症状はありますが、まだ本人の強い意思があれば
止める事ができます。
ええと、何が言いたいかといいますと、ええと
Tは、純粋に詩作における手段としてトランスしていたと。
全ては、詩のために、表現のために。
だから、どんな物をやっても、詩作という使命を
自覚し背負っていたので、ギリギリ一線、おっしゃるとおり
「醒めた意識」だけは放棄しなかったと、私は確信しています。
ふつう、覚醒でも酩酊でも、呑みこまれてしまうのですが。。
それら強烈なトランスにおいても彼は「見者」としての
スタンスを保ち続けたのです。
けれど、人間の精神という容器には限度があり
最期に、その器が決壊したのだと思います。
とりとめのない文ですみません。。

高梁サトルさま、ありがとうございます。

こんな、バカ2名のことをごひいきにしていただき
皆さまに、感謝しています(:_;)。


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