夏の雲/たもつ
 
以下の方がこの文書を「良い」と認めました。
- 朧月 
- 都志雄 
- kauzak 
- 小川 葉 
存在しない
心を描くやさしさ。
- 月乃助 
- 塔野夏子 
- あぐり 
- 板谷みきょう 
- 楽恵 
- 山岸美香 
- あおば 
- 高梁サトル 
- 望月 ゆき 
- mizunomadoka 
- 大村 浩一 
- ハイドパーク 
デ キリコの絵の様な静寂感がしました。
- 夏野雨 
とてもいいです。中身の黄色を思いました。
- はるな 
- 昼寝ヒルズ 
- さら 
- ミッチェル秋山 
この作品に関しては意味なんて考えないで、いい
ような気がした。イメージが鮮明に浮かぶ絵画的な詩だと思った。
- モリー 
以下の方がポイントなしでコメントを寄せています。
- 「ま」の字
>教えた言葉を
>卵はすべて覚えたけれど
>口がなかったので
>話をすることはなかった

で提示された一つの謎(話の出来ない相手なのに、なぜ「全て覚えた」と分かるのか)。しかし、話ができなくても「覚えた」と分かるこの関係に、話者と卵との親密性がうかがえる。卵の形と「口がない」という表現がリンクし一種の可愛らしさが感じられ、そして親密なのに「話をすることはなかった」事から、一層話者と卵の親密性を感じさせる不思議さがある。幼児の、あるいは幼児の頃の記憶に残る“沈黙”。優しくも不思議な静謐さが支配している話者と卵。ひょっとして卵は話者の中にあるもう一つの心、あるいは本当の自分、また忘れられた幼児としての自分、か。などと思う。

 そんな風に読んでしまうと、

>わたしが生まれてから
>何度も見たその光景を

で、「わたし」と文字にして提示したことはドウなのだろうと思ってしまった。上記に示した私の勝手な思い入れに基づく感想ではありますが、少なくともこの箇所を読んで私(無名生)は「ああ、私と卵は別物だったのか」と感じた事。そして読み手としてのテンションがほんのわずかですが落ちた事は確かです。 

 勝手な感想です。お気を悪くされたらすいません。

追伸;『世界の果て』良かったと私は思います。AtoZ氏の非難していた最後が、私は良かったですね。型どおりだから陳腐とみるか、型の力を梃子として飛躍したとみるかで、評価が分かれるんでしょう。
 私としては、怒鳴りあいで(話者ではなく)父が先に冷静になった、というくだりが効いていて(事実読んでてハッとした)、その雰囲気のもとでの終結だったので、余韻の引く、一つの作品世界となったと思っています。
---2010/05/15 23:59追記---

---2010/05/18 22:54追記---
追記です。

 日を置いて再読し、「わたし」と入ったほうが良いと思うに至りました。入らないと、私がいつしか卵になる、てな変身譚みたいになってきて、そういう展開はちょっとマニアックというか、息苦しい。話者の特殊な心境でありすぎ、そういうものに付き合わされることで、読者は話者の心理的荒廃みたいなものを強く感じてしまい、それはこの詩の柔らかな雰囲気からいってそぐわない。私と別のものだが親密、親密だが別。不即不離といいますか、このような微妙な距離感と一体感をあらわすには、平易な表現で距離感を表出しておいた方がいいようです。それでこそ、いまさら後悔するでなく、けれど切り捨てるでない、話者にとって不可解なんだけどどこか既知で愛着ある、という雰囲気が出ると思いました。

 やはり初読での判断はムツカシイ。手探りで読むだけに神経質というか、一字一句に過敏になるし、また「もう1人の自分、とするならもっと卵と自分をくっつけるべきではないか」というような、他の可能性を見ない短絡的判断もでてくる。料理じゃないが、その詩(味)を(自分に)馴染ませる時間が必要か、と改めて思いました。 失礼しました。
- AtoZ
>こうして無名生さんに感想をいただけたことも、AtoZさんに感想をいただけたことも
>大切にしたいと思っております。

たもつさん、そういう言い方はよくないよ。無名生さんに失礼だよ。
わたしはこの詩に感想なんか書いていない。
にもかかわらずわたしの名前を出してきて無名生さんと並べた。
そこにどのような心の動きがあるかわからないとでも思いますか?
ことばの使い方をもっと大事にしなさいよ!
ほんとはとてもフテブテしいにも関わらず、どうして小ささを装うのか、
まったく不思議でもないが。
それにしてもなんという人だ!
 
作者より:
読んでくださった方々、ありがとうございます。
たまさん、コメントありがとうございます。
小川葉さん、いつもたくさんの感想ありがとうございます。
なかなか筆不精でお礼も申し上げませんが、ありがたいことだと思っています。
無名生さん、時々いただけるコメント、勉強させていただいております。
ぼくも「わたし」をつけるべきか悩みましたが、やはり立ち居地の問題で
つけることが適切かと思い、つけました。何となく、無名生さんのように
読んでいただける方がいて、それでも邪魔にはならないかな、と思って
つけてはみたのですが、最後で判断を誤ったのかもしれません(つけたことに
後悔はしてませんが)。
「世界の果て」の感想もありがとうございました。いただけるコメントはすべて
いただいて、何かを考えるきっかけとしたいと思いますので、こうして無名生さん
に感想をいただけたことも、AtoZさんに感想をいただけたことも大切にしたいと
思っております。
---2010/05/19 16:25追記---

AtoZさん
怒らせてしまったようで申し訳ありません。
無名生さんの
>追伸;『世界の果て』良かったと私は思います。AtoZ氏の非難していた最後が、私は
>良かったですね。型どおりだから陳腐とみるか、型の力を梃子として飛躍したとみる
>かで、評価が分かれるんでしょう。

に対するコメントです。言葉が足りなくて申し訳ありません。
「世界の果て」でAtoZさんにいただいた感想も大切にしたい、という意味で申し上げた
つもりだったのです。




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