創書日和【証】立証/大村 浩一
 
以下の方がこの文書を「良い」と認めました。
- 夏嶋 真子 
- 吉岡ペペロ 
- nonya 
 
作者より:
「証」という言葉に接した時、「証しが立てられない」という状況を考えてみ
ようと思いました。期せずして今週の絶望先生とネタかぶり。発売日前だった
から良かったようなものの。(笑)
 真面目な話、書道家の筆致礼賛に対する反論を書いた時、ネットや活字の表
現物の中で繊細さを競う事の限界というか、無意味さに気づかされてしまった。
 以前に詩の中に書いた事があるけれども、作者本人が自分の魂だとか何だと
か思い込んで書いているものが、実は奇妙で醜悪な、複製可能なものかもしれ
ない、或いは他者からそのようにしか見えないかもしれない、という事を私た
ちは看過しがちなのではないか。
 入沢康夫さんが「詩は自己表現ではない」と語ったのも、これに重なってく
ると私は思っています。そもそも言葉自体、作者(の期待)を裏切って現れ伝
搬していくかもしれないものなのに、そこで過剰に魂だとか誠実さだとかを競
っても仕方がないんじゃないか。何か別のもので密度を上げていくしかないの
じゃないかと思う。
 自分が繊細だ誠実だなどと自負して詩に向かう人は、自分を恥知らずだと思
ったほうがいい。地獄を肉眼で見たのだとしても、それが他人に伝わるとは限
らない。(そういう体験をさせられた人がむしろ孤立へ追い込まれていくのが、
今の嫌な社会風潮ですね)

 もっとも私自身は、裏切るかもしれない言葉自体へ自分が誠実を尽くせない
としたら、その先に居る読者にはなおさら届かない、と思っていますが。

 手法としては阿部嘉昭さんが取り上げていた某女性詩人のマルチキャスティ
ング的な要素を意識して書いています。最近の詩に多い話者=作者の図式から
少しでも離れてみたかった。

MARINOさん、瑠実さん、大島健夫さん、夏嶋 真子さん、吉岡ペペロさん、
祐緋さん、

ポイント下さった方、ありがとうございます。
この作品はポイントが入りにくいと思うので、特に。
---2010/04/12 12:53追記---

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