感情による共感、によらない一体感についての個人的な考察/テシノ
 
以下の方がこの文書を「良い」と認めました。
- 鵜飼千代子 
- salco 
深い思惟ですね。感嘆致しました。
LSD体験も感覚世界への自己投入なのでしょうね。
- BOOKEND 
- sh 
この散文をとても面白く読みました。

詩(のようなもの)を書き始めてまだ日が浅いのですが、「境界を越える」というキーワードがずっと頭の中にありました。ものを書くとき、自分は何にでもなれる(「僕」という一人称を使ったからといってそれが自分自身である必要はない)ということが、ひとつの新鮮な驚きだったのです。読むことと書くことは同じじゃないか、ということを最近考えたのですが、そういうこともこの文章の中に既にあるような気がします。

「感情を一切必要としない、対象物と同一化する事で得られる一体感」という言葉が気になるので、タルコフスキーという人の作品を観てみたいと思います。あと、文中で引き合いに出されている本も読んでみたいのですが、誰の本なのでしょうか?

---2010/03/18 12:03追記---
表紙が水色で哲学の本、ということがわかっただけでもありがたいです。どうもありがとうございました!
- 小野 一縷 
- いとう 
- KETIPA 
「境界線が消える瞬間」興味深いです。

どうしても言葉に落とし込むと変質してしまう感覚を、他人に伝えられないのがもどかしいと思うときがあります。
- 乾 加津也 
遅れて読ませていただきました。
- ゴースト(無月野青馬) 
以下の方がポイントなしでコメントを寄せています。
- クローバー
おもしろく読みました。なるほど、と思いました。
 
作者より:
読んでくださった皆さんに感謝します。

>salco様

コメント有難うございます。
エクスタシーという言葉を使いながら、ちらりとドラッグの事も考えました。
あまりにも未知の世界なので想像する事しかできませんが
私自身はレンタル屋に数百円払うだけでトリップできる非常にお安い体質であるようです。

>クローバー様

コメント有難うございます。
こういった形で長文を書いた事があまりなく、気付いたら改行が酷い有様になっておりました…
こんなお目汚しなものを読んでいただけて嬉しく思います。

>sh様

コメント有難うございます。
私は物事を受け取る側の自分にばかり興味が向くようでして
書き手としての自分をもっと意識していたら、あなたのおっしゃる
「読むことと書くことは同じじゃないか」という部分にも触れられたのかも知れません。
タルコフスキー作品は…睡魔との戦いになるかと思います(笑)
ファンにとっては、つまらないわけじゃないのに寝てしまう、マッサージチェアか?みたいな映画です。
本についてはすみません、表紙の色しか覚えてないのです…水色…
ちょっとした哲学本の類いだったのですが、私が読めたくらいなので専門的なものではないです。
お役に立てず本当に申し訳ありません。思い出したらご報告します。
---2010/03/18 14:10追記---
>たま様

コメント有難うございます。
たまに人様からお褒めいただくと、何かわかったような気になってしまう自分を戒めている最中です(笑)
---2010/04/05 10:34追記---
>KETIPA様

コメント有難うございます。
お目に留めていただけた事、嬉しく思います。
あなたの作品、特に「現代詩をそんな読み方してないゆえに」を拝読してから
私の頭の中でそれぞれ一つずつの点だった事象が線で繋がり、拙くはありますが形にしてみた、といった具合です。
「断面はあたかも泣いているかのように」への私のコメントに対してあなたがおっしゃられた
「からみついてくる」という言葉が大変参考になりました。
この散文を書くにあたり、お名前と作品を引かせていただこうかとも思ったのですが
まだ流動的な感覚でいまいち核心に迫るものではないため控えました。
この場を借りて改めて感謝いたします。

一読者としてしか物申せませんが、例えば「断面はあたかも泣いているかのように」を読んでいると
目は確かに文字を追っている筈なのに、見えているものが文字じゃなくなってくるんですね。
多分その時、私は言葉の意味を全く理解していないんじゃないかなぁ、と。
ひょっとしたら、私が作品に引きずりこまれれば引きずりこまれるほどに
あなたが描いているものと私が捉えているものとはまるで違ってしまっている。
それが表現者であるあなたに失礼なのか、それとも仕方ないのかが私にはわかりません。申し訳ない事です。

文字は記号ですが、言葉は解釈を必要とします。
「あ」と「か」は誰にも等しく「あ」と「か」でも、私の「赤」と誰かの「赤」は違う色です。
言葉は文字がもつ伝達ツールとしての力を超えて、個々人の世界を構築しているというか、何というか。
言葉というものには、もしかしたら不安定で無力な一面があるのかも知れません。
それでも、例え文字としての「赤」を使わなくても、言葉によって「赤い状態」を共有できる瞬間が確かにあると思います。
私はそこに映像や絵画とはまた別の、言葉というものの多様性や自由を感じます。

えー、技術的な事がさっぱりわからないので、無用な精神論じみたものでお茶を濁してみました。
すみません、どうぞ読み流してくださいまし。
---2010/08/21 12:07追記---

>乾 加津也様

コメント有難うございます。
読んでいただけただけで嬉しく思います。

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