創書日和【祝】祝詞/大村 浩一
 
以下の方がこの文書を「良い」と認めました。
- 鵜飼千代子 
ちびこちゃんとの掛替えの無い時間に思いを馳せる、大村さんの気持ちが伝わってきました。健康ですくすく育ってほしい、成人するまでは、仕事はやめられん!行かなくていいけれど、結婚したい人が出来たのならば、花嫁姿は絶対見る(女の子だったら)、孫だって抱きたい、、、俺の孫って、どんなの?なんていう、普通のお父さんの感情と、掛替えの無い時間には限りがある、という切なさが、第2連での感情の放出になったのだと思います。いい詩だと思います。けれど、どうしょうもないですけれど、自分が子供のうちは、この詩が描く風景がわからないかもしれませんね。^^
- salco 
- たもつ 
- 山口清徳 
- m.qyi 
- 朧月 
 
作者より:
「祝」の「神に使える者」という意味と、初節句の祝いを見てるうちにこんな詩が
思い浮かびました。自分の子を神の使いと崇めるのはいささかえげつないですが、
未知の存在に持ち上げてしまうことで、自分の孤立感を呼び込もうとしました。
 神、君といった、詩に使うには危うげな名詞も、自分の屈折感から来るダブル・
ミーニングの意図の反映でしょう。

鵜飼千代子さん、salcoさん、大島健夫さん、たもつさん、

ポイント下さった皆さん、ありがとうございます。

>>鵜飼千代子さん

 長文コメントありがとう。
 子供が出来て以降、どちらかと言うと自分の荒涼たる終末ばかりを考えてしまう
(縁起でもないですが)。この詩でも専ら、自分自身に焦点を当てています。

---2010/03/01 23:15追記---

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