作者より:
「祝」の「神に使える者」という意味と、初節句の祝いを見てるうちにこんな詩が
思い浮かびました。自分の子を神の使いと崇めるのはいささかえげつないですが、
未知の存在に持ち上げてしまうことで、自分の孤立感を呼び込もうとしました。
神、君といった、詩に使うには危うげな名詞も、自分の屈折感から来るダブル・
ミーニングの意図の反映でしょう。
鵜飼千代子さん、salcoさん、大島健夫さん、たもつさん、
ポイント下さった皆さん、ありがとうございます。
>>鵜飼千代子さん
長文コメントありがとう。
子供が出来て以降、どちらかと言うと自分の荒涼たる終末ばかりを考えてしまう
(縁起でもないですが)。この詩でも専ら、自分自身に焦点を当てています。
---2010/03/01 23:15追記---