【批評祭参加作品】死蔵作品を救うのは批評じゃない/KETIPA
 
以下の方がこの文書を「良い」と認めました。
- 露崎 
- いとう 
- とうどうせいら 
カテゴライズについては自分もそう思っていたけど
muzieが出てきたところで具体的に思い描くことができたので、
たとえがうまいなーって思いました。


あと、

批評=一般の人が詩を読む時のナビゲーター

という定義については確かに疑問がありました。

もちろん批評から作品を知る機会があっても全然いいと思うけど
ほんとは批評対象作品の宣伝がメインじゃないような気がするし
批評文がまず文芸作品として存在する理由が書き手それぞれにあるような気がしています。

あと、
>潜在的読者はいるはず。どう理解してもらうかとかじゃなくて、もう理解できる素地をもっている人間は絶対いるはず。そこの結びつけをすることが、現代詩を広めるための第一歩なんじゃないかと思う。
この意見も共感です。
音楽と同じで、詩も、
ジャンルごとに受け手になる人が違うと思うので、
クラシックが好きな人にパンクロックを聞かせても顔をしかめるだけなのと同じで、
詩を好む人・好まない人、とわけるだけでなく、
詩を好む人の中でもこのへんのジャンルが好きな人(はどこにいるんだろう?)、という読者層の把握(読者探し?)が必要だと感じます。

んで読者を探すにしてもまず自分らがどんなコンテンツを持っていてどんな方向性に行きたいかはっきり認識しないと探すこともできないので、
カテゴライズやタグの案は確かに有効だなって思います。
- AtoZ 
>ある意味ここは、ネット詩の墓場だといってもいい。

うまいことをいうね。
で、にもかかわらず、なぜ墓場はあるのか?
とうぜん、墓石屋や墓守のためにある。(笑)
その下に埋まっているものは無でも骨でもなんでもいいわけだ。
もちろん、墓守も墓石職人もそんなこと口が裂けてもいわないが。
- コーリャ 
- 瑠王 
それでも黙々と日々、生産されていくこのサイトの詩のページ達が時々こわくなります。
- 瓜田タカヤ 
- 草野春心 
日ごろ思っていることを代弁してもらった感じです。
僕は、自分で言うのもなんですけれど、
結構辛抱強く作品を漁っているほうですが、
それにしても、もうちょっと検索しやすくならないものかと。
自分のおすすめ詩も整理できるなら整理したいし。

確かに、
ジャンルによる細分化は無視・慣れ合いを生むかもしれませんが、
そんなのは今でも、なきにしもあらず。ですしね。
(あくまで僕の印象にすぎませんが……)

そして、この文章さえも「墓場行き」になるかもしれない
という皮肉。うーむ。

意義深い散文をありがとうございます。
 
作者より:
皆様、ポイント、コメントありがとうございます。

とうどうせいらさん
カテゴライズの必要性がこれまでどれほど言われてきたかはちょっとわからないんですが、おそらくフォーラム参加者のみなさんが思っている以上に、潜在的な要望がある気がしています。

批評についても、やはりナビゲーターとしての役目というより、文学者のための文芸作品が中心になっている気がしますね。現在の状態ではやはり、幅広い読者層を呼び込むにはシステム的にも不十分な点だと思いますね。

>まず自分らがどんなコンテンツを持っていてどんな方向性に行きたいかはっきり認識しないと

この点は重要ですね。なんというか、個々人でバラバラに持ち寄るだけ持ち寄って、それを整理する人が誰もいなかった状態が、長らくつづいているようですね。このままでよしとするか、それとも改革していくか、ひとつ運動が起こらないと(あるいは起こさないと)変わらなさそうです。

ちなみに私は、クラシックもパンクロックもガンガン聞きます。

AtoZさん 
>なぜ墓場はあるのか?
>とうぜん、墓石屋や墓守のためにある。(笑)
>その下に埋まっているものは無でも骨でもなんでもいいわけだ。
>もちろん、墓守も墓石職人もそんなこと口が裂けてもいわないが。


これは面白いたとえですね。とりあえず膨大な詩人の作品があることを強調できるので、ジャンルとしての権威や地位を守りたいと考える方には好都合なのかも知れません。

少し違いますが、近代デジタルライブラリー(明治、大正期の膨大な著作を閲覧できるサービス)のアクセス数を見ると、一番アクセスされている作品でも月に数十アクセス程度で、ほとんどは20アクセスにも満たないようです。それでも15万点以上の作品を収蔵しているということは一応言えますからね。

近デジの場合、現代詩よりさらに需要が少ないので仕方ない面もありますが、墓場という意味ではどっこいどっこいかもしれません。しかも近デジは、国営の墓場ですからね。将来的に現代詩のデータベースが同じ末路を辿らないことを願いたいものです。

---2010/01/19 00:22追記---

睡蓮さん
この文章で私が言いたかったことは、現代詩に興味を持ってもらうのに必ずしも批評は必要でない、ということです。もちろん批評によって「死蔵作品を蔵から出して新しい命を与えること」も出来るとは思いますが、そもそもその批評が死蔵されていては意味がありません。

また私のように、解釈や理解なしに現代詩を楽しめる人もいるでしょうし、「解釈可能性に何らかの大きな意義が見いだせる」から現代詩を読みたくなる人ばかりではないと思います。

そういった、「まず批評家が受容してみせて、解釈可能性を提示しなければならない」といった考えが批評家の皆さんから感じ取れたので、「読み手として想定される人間を限定しすぎてはいないか」と懸念しているのです。
---2011/08/20 01:31追記---


草野春心さん

こんな死蔵作品にまでコメントありがとうございます。意義深いだなんて恐縮です。

やはりたまに新作を出して、そこから名前で辿ってもらうほうが、死蔵されずにすむ可能性が上がりそうですね(笑)。そのためには寡作でないといけないというのは困ったものですが。

さて、この散文を書いたのも2009年なんですが、2011年現在でもシステムは変わる様子が一切無いですね。片野さんはすでにこのフォーラムに関心をなくされているのでしょうか? トップページのご挨拶は健在ですが、何パターンかの文面を予め用意していて、名前のところだけその人宛にして自動更新しているようにも見えます。

この墓場状態を解消するためには、作品へのリンクを呼び出して、独自に作品にタグが付けられるよう整理できるような外部サイトを作る他はないかも知れませんね。おそらく技術的には可能でしょうが、私がそれをするだけのモチベーションと技術力が不足していますね。

こういうのはアイデアを出す分には面白いですが、実行するとなるととたんに面倒になってしまいます。誰かにハッパかけられたりしないと、なかなかできそうにないですね。

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