『批評祭参加作品』いとう氏へのレスポンス/ダーザイン
 
以下の方がこの文書を「良い」と認めました。
- 相田 九龍 
- 鵜飼千代子 
主旨に共感出来る部分が多くありました。
「文学極道」の方なのですね。CM効果も上々です。(笑)

思潮社を叩くのはキャッチーですが、現代詩は現在、内ゲバをしている場合ではないとわたしは考えています。老人も、未成年も、自分が今、出来る事をしなければいけない状況だと思っています。

詩壇で、20年前いうに言われなかったことをようやく発言出来るようになって討論されているのだとするのなら、わたしたちが向き合っている現状を20年後に提議したのでは遅いんです。

割り込む事になりますから、現状を混ぜて討議していただく事を働きかけることで、現実に戻ってきていただかないといけません。

わたしは、自分が書くものを紙媒体の詩人に「ネット詩」といわれたり、そういう差別を受けたことはありませんが、ニフティーの現代詩フォーラム、詩のフォーラム出身で、それは団体であり、詩誌ではないから、困ったことをしてしまって、本人に直接いうのは余りに酷なので、主宰に伝えてやんわりフォローしてもらえないだろうか、、というような場面では、困るだろうなとは思いました。その点では、「文学極道」出身の方も同様でしょう。

「ネット詩」という言葉を掲載した商業詩誌が「現代詩手帖」だったのでしょうか。編集した上で、出したのですよね。その、「イッショニシナイデ、アナタタチトハ!」という考え方には、おののきます。わたしは、ドンビキです。(笑)けれど、「詩とメルヘン」を広告なしで発行したかったやなせたかしさんも、いよいよ行き詰まり、広告を取り入れながらなんとか刊行を続けたいと尽力されたようですが、廃刊になってしまいました。その最終号近辺を買ったのですが、あとがきに「わたしは気持ちが悪い詩は嫌いです」というようなことが書かれていました。現代詩のことを言っているのでしょう。(笑)好きにやっている人は、いいたいことを言うのだということを前提にして、その言葉を全いものだと、鵜呑みにしなければいけないほど、情報の選択肢がなかった詩の現状を、恐れなければいけないのだと思います。

現代詩は、閉じ込められたり、孤立しては、いけないと思います。そうならないために、みんなで考えなければいけないと思います。

---2010/11/20 15:33追記---
遅レスですが。
>20年前にできなかったことが今はできる。ワイヤードの出現で、自分でメディアを作ることができる。私も地元の詩人協会などで、どこの詩誌所属かと聞かれることがあるが、ああ、老人の質問だなと思うだけで、新世紀詩文学メディア文学極道だときっぱり応えています。

この部分を読んで、わたしは何か大切なものを置き忘れていたのではないかなとはっとしました。
「ネットのサイトは詩の所属先等として認められていないから」とひとりの人に言われて、「今はまだそういうものなんだ」と思い込んでしまって、自覚無く、待っている何人かの人たちを裏切っていたのではないかなと。その時は、自分のサイトを所属先として書いているのですが。パソコン通信で書いた詩を纏めた詩集は認めていただいたので、それで納得してしまったのですね。

ダーザインさんに教えられて、日本詩人クラブのアンソロジーに初参加し「所属詩誌 現代詩フォーラム」の名前を載せました。春頃、あらかじめ片野さんに問い合わせたのですが、個人のプロフィールに、現代詩フォーラムを団体とするのも、詩誌とするのも、好きにしていただいていいという趣旨のお返事をいただいていて、紙の詩誌にはわたしが考えていた「同人詩誌」とは違う形の詩誌が沢山あることもわかってきましたし、毎日これだけ多くの詩が投稿されているので、日刊の詩誌だとわたしは判断し、そのように原稿を送りました。わたしのサイトは個人サイトであることは変わりませんが、むしろ団体ですね。
http://po-m.com/forum/upfile/10/101120131334.jpg

原稿を送ってから先刻本になって届くまで、半年余りかかりましたので、お礼が遅くなったことをお詫び致します。片野さんといとうさんには、この本を送っています。厚くてけっこう値が張るので、ダーザインさんには掲載されたご案内だけでごめんなさい。(日本詩人クラブのHPから購入も出来ますが、郵メールで片道450円で貸し借り出来ますので、どちらさまもご希望があれば連絡を取ってみてください。もちろん、わたしに連絡をいただいてもお貸し出来ます。どの段階までかわからないのですが、詩人クラブから図書館にも送っているということは聞いています。)

ここから夜を開いて行きます。わたしたちも、後何年戸籍上の命があるかわかりませんが、大先輩方はもっと心配なので、知っていること、見えたものから、話しておきたいことを伝えていただく機会を持つ努力をしています。書かれていてもわたしたちが知る機会が無いことも多いですし、「教えてやる謂れは無い」ところですので、人を探すことと、郵便で手紙を書いたり、出向いてお願いしたり、現場百回のような、番記者のような、飛び込みの営業マンのような、ことをしています。わたしは首都圏に住んでいるので、自分に出来ることをしています。

ダーザインさん、わたしに気付かせてくださいましてありがとうございます。
弛まず張り過ぎず、行きましょう。
- いとう 
- 瓜田タカヤ 
- 《81》柴田望 
- チアーヌ 
以下の方がポイントなしでコメントを寄せています。
- AtoZ
>老人権力に媚び諂い一私企業にすぎない思潮社の引いた老人ホーム行きのレールに乗る輩は芸術家じゃない。

主張の当否は別として、なにかものすごく古臭い、手垢のついた主張ですね。
いつか、そう、ずいぶんむかし全学連とかその手の方々が絶叫していたスタイルとまったく変わらない。
そう、たしかその手の人々は、その後、雁首そろえて「老人権力に媚び」「企業の引いたレールに乗」っていって、いまや官僚や大企業の役員や飼い犬評論家などになっているよね。

>ネットに出てこない老人とそれに媚び諂う若年寄たちは、物凄く内閉した発行少部数のおもちゃの城で瞞着している。

文学極道のあの世界に限らず、いまの「げんだいし」そのものが「物凄く内閉した(少数の人たちの)おもちゃ」じゃないの。
わたしはそのことにこそむしろ「現代詩」の意味があるとおもっているから、そのことが悪いとは思わない。しかしいいとも思わない。
「物凄く内閉した発行少部数のおもちゃ」を罵倒するんならてめえの顔を洗って出直して来い!なんて乱暴な口をきくつもりはない。
ま、そうだな。せめて現代詩のげの字も知らない人がみても感心するような世界をそこにつくってから物申せ。

>文学極道創造大賞受賞者にマスコミから執筆依頼が来るまっとうな世の中

はぁ? 
それのどこが「まっとう」なのか?
むしろ、それこそあなたの「ネット詩」が「老人たちの出版詩」と権力構造的に入れ替わっただけの話になるが。
マスコミあたりから執筆依頼が来ることを詩の良否の基準のひとつにするなんて天に唾するようなことじゃないのかな。
- とうどうせいら
文学極道と未詳24のCMみたいだったけど、
最後の段落がとってもよかった。

でも、たとえ500部だったとしても、
本という形でしか表現し得ない世界もあるのではないかと思ったりします。
ウェブで読んだ時にしか得られないものもなにかあるのと同様に。

それぞれが豊かになって書き手が選べるようになるとわたしはうれしいな。

そしてダーザインさんの言うように
ウェブにも今よりもっとたくさんの一般の人に知ってもらえる未来があればもっとうれしい。
---2010/01/15 17:31追記---

コメントのお返事、
「ウェブや雑誌やイベントなどいろんな形のツールが出てきても、
利用する人の意識が変わらなければ新しいことは生まれない」
という警鐘と思って読みました。
最初に読んだ時よりも意味がわかりました。
本の思い入れの話、なんとなくいいきもちになりました。
ありがとうございます。
 
作者より:
どうどうせいらさん

そうですね、仲間や敬愛する詩人の詩集であれば、そう、たった100部でもとても温かく大事なものです。
去年初めて東京ぽえけっとに行って山ほど詩集を買いましたが、どの詩集も皆、小さな宝箱のように愛しく思えました。詩集を出すのは良いことだと思います。
ただ、20万で出せるものを現代詩手帖から出せば100万から150万かかるので、思潮社を儲けさせるのはやめてほしいな。
旧メディアはデジタル化しても何も変わらない。あいかわらず詩の話は谷川のじいちゃんに聞く。いい加減にしろよと。
ネットで活躍する若手に、もっと光を!
それから、どうどうせらさん、文学極道にも来てね、お願い

AtoZさん

仰ることは解ります。全共闘世代なんて、ブルジョアの子弟で、結局はいいところに就職し、失業者が路上で寝るこの日本という国を作って自分たちは高額な年金を貰ってのうのうと老後を楽しんでいるのだからね。現代詩手帖の年寄りは全員そういう奴らだよ。
でも、私についてはご心配なく。47歳ですが、この10年ずっと非正規雇用のその日暮らし、年収200万以下です。私は自称SR社会革命党党首であり、一生革命家です。ご心配には及びません。
マスコミについては、媚び諂おうと言っているわけではありません。本物のすぐれた詩人たちが正当な評価を受けてほしいと願うだけです。
あなたがどこの回し者か知りませんが、私は城戸朱里の千倍筆力があるし本来的な詩人のつもりです。書いてきたものを公平に見てもらえれば一目瞭然だと思う。ましてや文学極道創造大賞受賞者は全員現代日本最大の詩人です。城戸のような害虫と比べてしまった私はともかく、彼らには、もっともっと日の目を見させてやりたいです。我が子よりも大事な戦友たちです。

鵜飼千代子さん、お互い長いことポムッているのに語り合うのは初めてかな?
はじめまして、よろしくです。ついでにオファーを出しておきます。文学極道にも是非。

文学極道発起人の内情は様々で、活字メディアで活動している人も複数いますし、私が極論を言うほど皆がとげとげしているわけではありません。もっと広い心で詩という芸術の復興を願い活動している人が多いです。

だが、わたしには拭いえない怒りと呆れ果てた思いがあり、内ゲバではないよ、手帖は天下りの何とか財団とか何とか事業団の類の糞みたいな集金利権団体で詩芸術とは何の関係もないよといって廃棄したんです。

20年前にできなかったことが今はできる。ワイヤードの出現で、自分でメディアを作ることができる。私も地元の詩人協会などで、どこの詩誌所属かと聞かれることがあるが、ああ、老人の質問だなと思うだけで、新世紀詩文学メディア文学極道だときっぱり応えています。

20年前、、私は下記ような詩を書いていたが、雑誌はぬたくりものの山で投稿する気には全くならなかった。今の手帖にもこんな上等な詩は出せないねえ。あんなゴミ溜めに素人扱いで一般投稿するなどあり得ないです。俺と接続したかったらオファーを出せと。傲慢じゃない、実力でものを言っています。きっぱり。

清野さんについては後日レスします。もう出社の準備をする時間です。では。


「鳥は自由に飛ぶ」


鳥は自由に飛ぶ
一本の線によってへだてられた空間を
風つかいのグライダーのように滑空し
大気をはらんだ凧のように静止し
熊蜂のように羽ばたいて流れの外に飛跡を残したりして
そして時には それら小さなものたちは
烈風の中の紙吹雪のように 空間のあちらへこちらへ
ちりぢりに打ち捨てられたりもする

今日 老人ホームは海辺のさんぽ
風のつよい午後 砂粒がほほを打った
大砂塵という映画があったね どんなお話だっただろう
介護福祉の実習生が たわむれにおばあさんの足に砂をかける
どう あたたかくて気持ちいいでしょう

雲がちぎれて流れていった 砂粒が目に入る
なかば砂に埋もれかけた空き瓶の口が 風を受けてびょうびょうと鳴る
カモメはカモメ
カモメよカモメ
籠の中の鳥は いったいいつ出会うのだろう

実習の娘がおばあさんの足の上の砂を払う
ちょっと呆けたおじいさんが そのかたわらで砂をつかみ 埋め戻そうとする
まあ もう砂かけないでと彼女は笑った
帰る時間だから靴はいてバスに乗りましょう

まだ埋めてくれなくていいんだよと おばあさんも笑った

風の強い午後だった
閑散とした海辺
横たわるからだの上を 砂が流れていく
砂浜の砂の上に
打ち上げられた貝殻の曲面に
閉ざされた海の家に
置き忘れられた境界の旗の上に そして
波打ち際にたたずむ人々の上に
飛砂が 一枚の膜を作っていった

鳥は自由に飛ぶ
一本の線によってへだてられた空間を
風つかいのグライダーのように滑空し
大気をはらんだ凧のように静止し
熊蜂のように羽ばたいて流れの外に飛跡を残したりして

そして時には
砂浜の砂の中に
飛ぶ鳥の飛影が
化石していたりする

---2010/01/14 20:05追記---

---2010/01/14 20:26追記---

訂正履歴:
漢字の間違い修正(×500分○500部)10-1-14 17:24

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