散文苦手が書く散文・その1/山中 烏流
 
以下の方がこの文書を「良い」と認めました。
- 北村 守通 
なんとも言えないところがありますよね。
でも賞賛する、というのも評の一部と考えることができるのかもしれないんではないかなぁ、とは思ったりもします。
あと、否定的な感想が生じた場合、「何故?」を考えることが難しかったりするのかも知れません。肯定的な感想が生じると、「ここでこういう言葉が出てくるのがいいなぁ」だなんてこともあるじゃないですか。ですから自然と理由も引っ張り出しやすいところがあるのじゃないかな、とも思ったりしたしだいです。
- AtoZ 
なんか、肩の力の抜けた、いかにも散文らしい散歩のような気分の文章で、
ケレン味も、あざとさもなく、自分を誤魔化そうなんてまるでなく、
ああ、久しぶりに気持ちのいい散文を読んだなて感じでした。


- FUBAR 
ひとの作品の批評なんて我はとてもじゃないができませんけれども
私が私である以上、
我は私情を絶対に排せないかなあ
「客観的に」とか「自分を押し殺して」というのがどうにも胡散臭くて
個人的には褒めるという行為のほうが難しい気がします
- 村正 
以下の方がポイントなしでコメントを寄せています。
- ヨルノテガム
いちょうさんが詩の作者として
批評 ってあればいいと思いますか
そして どんな批評がベストだと思いますか
また 批評によって どんな良いことが
あるだろう と思いますか
僕は 批評 についてあまり考えたことないので
そのイイあり方がよくわかりませんね
作品に対する新たな視点 新たな解釈 展開
ぐらいしか 評 の面白さって思いつきませんね
私情に関わらず のめり込んでいるほうが
面白いでしょうけど
 
作者より:
北村 守通さん>
なるほど。
そうですね、確かにアドバイスや指摘できるような穴をわざわざ見つけようとするのは
、惹かれた面を伝えるよりも難しいです。
ただ、賞賛すること全てが悪いと言いたかったわけではないんです。
賞賛しかしていない批評、というものはダメなのではないか、ということなのです。
意見ありがとうございました。

AtoZさん>
堅苦しいのは嫌いなんですw
純粋に嬉しいです。

FUBARさん>
意見ありがとうございます。
なるほど、褒める方が難しいですか。
やはり考え方は人それぞれですね、勉強になりました。
私情を挟んだとしても、作品と作者、それから自分を切り離して考えられるなら、私はそれでもいいと思います(批評に限定して言うならば)。
逆に言うなら、批評ではない限り私情はばんばん挟んでいいと思ってます。

ヨルノテガムさん>
どういう目的で書かれたにしろ、
批評対象になった詩の作者がすんなりと飲み込めるようなものが
いいのではないかと思います。
正直、そんな批評を全ての人が出来るとは思いませんし、
どんな批評であれ、その文章の作者がすんなりと受け入れることができるとも思っていないのですが。
どちらか一方が面白い批評ではなく、
批評者・批評対象者ともに「面白い」と感じるような批評が
一番いいのではないか、と思います。


ありがとうございます。
---2009/06/22 10:41追記---
---2009/07/30 11:38追記---

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