ほおずきが夜を歩くとき、猫が厭世を評する/竜門勇気
 
以下の方がこの文書を「良い」と認めました。
- aidanico 
- BOOKEND 
 
作者より:
>藍田ニコさん
>BOOKENDさん


猫が厭世を評する時代がついに訪れましたね。
この前ちょっとした出勤のあとお家に帰ってたんですが(お母さんの顔が見たくて)猫が力いっぱい車にはね飛ばされて死んでました。
僕のテリトリーは狭いものの田舎でして、猫は猫で繁殖するし、タヌキとかテンとかイタチ、時によってリスみたいな小動物の類も自由気ままに人との半共生を謳歌しています。
ですから、僕にとってはそれらの生き物の中で猫は特に人を頼る生き物だと知っています。気分屋であったり、一匹で生きる孤独な猫は餌場を確保している猫でありそれ以外の猫は誰にでも甘え、ねだり、何とか糊口を繋いで生きているのです。
そしてテリトリーを持たず常に追われる猫はしばしば道路や河川を跨ぎます。(最近気づいたのですがぶくぶく太った猫ほど道路に区切られたテリトリーを守っているようです。これが道の少ない田舎だからか、淘汰による物なのかどうか分かりませんし、僕が見てない間にそれを越えているのかも分かりませんが)
それゆえにか、道の真ん中で白っぽい脳みそを撒き散らして死んでいるのは痩せた猫や痩せて毛が半分抜け落ちたタヌキが多いです。これは結構心に来る物が大きいです。
僕が小型犬を飼ってるというのも有りましょうが、哺乳類の屍骸と言うのはいつまで経っても慣れません。
一度、道端に飛び出したどっかの飼い犬を跳ねかけて事故を起こしそうになって以来、酷く臆病になりました。事故を起こしては洒落にならないと思いながら、次にその時がきてもためらい無くブレーキを力いっぱい踏んづけそうな気がするからです。
と言うわけで、安全運転に心がけてこれからの人生頑張ろうと思います。後続車の有無をしっかり確かめてから急ブレーキを踏めるように。出来れば急ブレーキの必要ない運転を心がけたい物です。
しかし田舎のもっとも恐ろしいのはゼビウスの敵みたいな意表をつく動きをする老人であることは言うまでもありません・・・

ありがとうございました

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