作者より:
- 渡 ひろこ さん
- 蛾兆ボルカ さん、賛同ありがとう。
皆様、読んでくださってありがとう。
すてきな考えだとおもう。
まず、批評同士がきちんと受けあえば、一つ進むんだろうな、と。
批評するものは、一つ壇上にたち、と言うのは物凄く解るのです。だからこそ、強く評じて、評されて、と言うのも解りますし、それがある面で、必要な事も解ります。叩かなければ鍛えられませんし、前に進む事が出来ない場合もあるでしょう。しかし、それが必要なのは、例えば高校生で、中学生みたいな、思った事を真っすぐに、ちょっと癖を交えながら、歩きだしたばかりの人には、いきなり、なんで因数分解すらできないんだ、と怒鳴りつける様なものではないでしょうか。それよりも、ここはこうだからいけない、もしかしてこう言う事が言いたいの?という、気長なスタンスのほうが、必要では無いでしょうか。と、いいながら、そんなのされたら、必要なひと以外、うへぇってなるでしょうが。
今回、僕が言いたいのは、伝えかたなのです。駄目を駄目と伝えるのは誰だって代用ができると思うのです。だから、高みからの批評だけでなく、同じ目線で、評じてみませんか。手加減などではなく。
携帯から失礼。
仲良し批評希望、いいですねえ。今思いつくなかで、一番わかりやすいかもしれません。ただ、自分で書いてて何なんですが、そういうのは、批評さんがコメントをしてくれなさそうですよね、これ。
---2008/10/07 14:57追記---
関係あると思いますよ。いいと思う作品にはポイントをいれる。確かに、それ以上でも以下でもありませんし、もとよりフォーラムはそういう場所ですから、それで良いんじゃないかと。では、コメントで、批判するだけの人は?どうせ駄目だと言うなら、と思った訳でして。でも、先にコメントがあった様に、優しく書いて欲しいときや、初心者はそれを伝えるほうがいいかも、とも。
---2008/10/07 22:19追記---
---2008/10/08 13:09追記---
なるほどー。言われる側の、ですか。んー、作品の批評に作者が異議を申し立てるのは不毛、それをしないのが批評を受ける側の最低限の礼儀、んー、そうですね。確かに、受け止められない人は、前に進みにくいでしょうし、ダメダコリゃってなっちゃいますもんね。納得、なっとく。