雨景/ヨルノテガム
 
以下の方がこの文書を「良い」と認めました。
- 北村 守通 
合唱組曲『雨』、という曲があります。その曲に用いられている詩に近いものがありまして、その詩が現代に描かれていたら、ヨルノテガムさんの今回発表された様な詩になるのかな、と思いました。前半のあらゆる物体を埋め尽くす雨の描写、それがフェードインして語り部の視点に切り替わってゆく、といった情景がボクの目には焼きついてきました。電線が楽譜に見えている、という光景は非常によくわかります。(笑)
そして、最後の一行はその情景を見せるだけで終わりではなく、語り部がいう「本当の雨」とは一体なんなのだろう?と考えさせられました。色々な捉え方ができて、見事な『穴』になっている様に思えるのは僕の勝手すぎる想像でしょうか?
- アハウ 
ほのぼのとしていますね!
- ペユ 
最後で全部否定してるのか。
またよくわからなくて何度も読んだよ(笑)
俺は、そこまで怜徹になることもないんじゃないかと思ったけど、どうなんだろう。
 
作者より:
北村さん どうも
入り込んでくれたみたいで良かったですw
読者として書いてみると最後は
雨景の中の出来事で本当に心奪われたことは
あったのかしらという泡のように過ぎた雨上がりの一幕、または
雨のない俯瞰の世界から見た
ポツリとしたわたしの在り方への不安、寂しさ。
そんな感じの言葉に思えました

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