慟哭(長崎の鐘)/青い風
 
以下の方がこの文書を「良い」と認めました。
- 春日野佐秀 
- lazy 
- Porter 
- 月夜乃詩音 
- 藍染ゆみ 
- 遊佐 

神は、個々の心の中に存在するものだと思います。
唯一神ではなく、八百万の神
それで良いと思います。
神を信じる、その心が美しいのだと思います。

誰かの、言葉を導き出す詩は良い詩だと思います。
- 北村 守通 
 
作者より:
 長崎を旅行して、浦上天主堂・如己堂で永井隆博士やお子たち、緑夫人のことを学びました。神様は栄光をお示しなされるために、なんと多くの犠牲を要求されるのだということ(これは第三者として見た私見ですが)を強く感じました。特に緑夫人が、生きていれば、いかなる思いをされたのか強く感じできた詩です。私たち、か弱い凡人にとって・・・
 私はクリスチャンではありませんが、大学時代に聖書を少し学びました。
---2008/06/08 16:23追記---

 みなさまありがとうございます。
人間の罪と神の栄光=救いについて考えてみると、私は、江戸時代のキリシタン弾圧や原爆投下(緑夫人は隠れキリシタン信徒の指導者の末裔、キリスト教徒の多い長崎の被爆)が永井博士の行為により、贖罪がなされたのではないかと思われてなりません。

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