スズカ/右肩良久
 
以下の方がこの文書を「良い」と認めました。
- 石瀬琳々 
- ピクルス 
作者コメントも興味深かったです。
 
作者より:
孤蓬さん
 コメントありがとうございます。ご質問にお答えしたいと思います。
 そもそも口語というのは完成した文語の頽落した形式だ、という論があります。音便のように内在する法則性を越えた破壊的な飛躍が、文法全体にあるというわけですね。しかし、俗な言い方で恐縮ですが、そこには生々流転してやまないものの生々しさがあって、肉感的、官能的でもあると思います。一首目、「レースクィーン」はまさに口語的存在ですが、「光る木の実を拾う」という動作は彼女の意図とは無関係に第三者から見ると古典的、神話的です。また逆に、古典的、神話的視点の後半部から見ると、前半はまったく異質なわけです。前半と後半はそれぞれ互いを影として違う光の中に立っているようには思えませんか?そのギャップの面白さが作者のいささか身勝手な表現意図です。
 そんなのは伝わらないよ何言ってんだつまんねえ凹凸作って足を引っかけるから何かあるかと思ったらなんにもないじゃないの時間の無駄だよ。と思われたらすみません。大体において僕は無駄なものを作ってます。
---2008/03/09 20:45追記---
 ええと、三首目はですね、「悲し椋鳥三羽」という部分が、凡庸ではありますが、ある種の近代短歌へのオマージュになっているのです。で、「椋鳥三羽」というのは写生的実在ですね。それに対して「あれは鳥でなく鳥という言葉だ」というのは非定型に近い破調であるように、作者(あるいは主人公)の個人的感慨です。こういう散文的内容しか持たないパーソナリティが韻文的な文脈の中に存在する方法を模索したからこうなる訳です。もちろん構造としては一首目と同じです。矛盾を内包する面白さ、というのを狙ったわけですが、お前そんなの面白くも何ともないんだよ、なんかすごいものがあるかも知れないと思って裏切られた俺の傷つきやすい青春を返せ、といわれても困ります。ごめんなさい。

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