DEATH US NEVER DO PART/池中茉莉花
 
以下の方がこの文書を「良い」と認めました。
- shu 
- 恋月 ぴの 
以下の方がポイントなしでコメントを寄せています。
- 佐々宝砂
えっと生け贄スレに書こうとも思ったのですが、作者からの反論がほしいなと思ったので、あえてこちらに書きます。

>注射痕で赤紫に染まった骨だらけの手に
「骨だらけ」という表現に違和感を覚えました。
病んで痩せて骨の目立つ手、または骨張った、筋張った手ということでしょうか。
「骨だらけ」では、なんだか普通より骨がいっぱい、のような気がしてしまいます。

>街で一緒に選んだ臙脂のネクタイにくくられ
>黒い箱に詰められてい・・・

義姉さんが出てきて、葬儀のシーンなのかなと思いますが、
それにしては「臙脂のネクタイ」と「黒い箱」が不思議です。
日本の通常の葬儀では遺体に白い浴衣を着せ、白木の箱に寝かすはず。
私はプロテスタントなのでキリスト教式の葬儀に出たことがあります。
その場合は黒い礼服を着せて黒い棺でした。
カトリックの葬儀についてはよく知りませんが、カトリックでしたら、
亡くなる直前に神父による臨終の儀式があるはずです。
それがないので、プロテスタントなのかなと思います。

思い出のネクタイをわざわざ締めたのだとしたら、「くくられ」という表現は似つかわしくないと思います。
義理のお姉さんがそのネクタイを選んで遺体に締めさせたとしても、
「大事にしていたネクタイだから一緒にあの世に送ってあげたい」との優しい気持ちからでた行動でしょう。
なので、「くくられ」ではなく「一緒に選んだ臙脂のネクタイを胸に飾り」くらいがいいのでは。
あーそれとも、もしかしたら、「くくられ」「詰められ」は擬物法的表現でしょうか。
普通、人間に対しては「くくられ」「詰められ」のような、物扱いするような表現は使いません。
私は、あえて擬物法を使う必要はないのではないかと思いました。
なぜなら、語り手の「わたし」はマサルの遺体をモノだとは決して思っていないからです。


>耳のしこりは
>盲腸の傷は
>背中のほくろは
>ツ反の痕は
>足の裏の角質は

「耳のしこり」は病気やピアス穴などなのでありえます。
「盲腸の傷」も「背中のほくろ」もありでしょうね。
でも「ツ反の痕」は大人の場合めったに残らないと思います。
結核に感染していて過剰な反応を起こしたようなときは硬結して痕が残るそうですが。
見えない場所の注射痕としては、種痘やBCGの痕などがいいのではないかと思います。
「足の裏の角質」は・・・まあ、いいんだけど、なんなんだろうなあ・・・と思いました。
お風呂でピーリングしてあげた記憶でもあったのでしょうか。


>彼からわたしを引き離そうと
>背後から巻き付いてくる
>無数の手を引きちぎり

「引きちぎり」は意見が分かれるところだとおもいます。
ヒトサマの手を引きちぎることはとても難しいので、
おそらくこれは誇張表現、または暗喩で、
「無数の手を引きちぎるように」ということなのでしょうか。
---2007/11/02 00:24追記---

間違いだとわかったら直せばいいと思うのですが。
特にツ反のようなポカミスは。なんで直さないんですか?
(レスは非常に丁寧で低姿勢なのに直さないのが素朴に疑問で)

---2007/11/10 03:22追記---
ゆっくり推敲してらしたのですね。
慌てた物言いをしてすみませんでした。
 
作者より:
お読み頂きありがとうございます。
---2007/10/30 18:11追記---
> 佐々宝砂さん


丁寧なコメントをありがとうございます。

>骨だらけ

文学極道でも、「骨張った」の方がいいのでは・・・
というご指摘を受けました。
痩せて、骨ばかり目立つ手という意味だったのですが、
表現がよくなかったようです。

>ネクタイ


ここなのですが。

一応(?)、カトリックです。

臨終の儀式=「終油の秘蹟」はもちろんあるのですが、
ここでは、心電図モニターが止まってからを書いているので、
それは、とばしました。今は、「終油」といっても、助かることを
祈る儀式へと若干修正されて行われています。

黒い棺に寝かせますが、着せる服は決められていません。


実は、先日、祖父が亡くなりました。

亡くなって、御棺に入った祖父を見て、自分と同じ所に
青筋があったりするのをぼんやりながめていました。

肌がみえているのは、顔と手の甲だけ。

子どもの頃から祖父のそばで遊んでいたわたしは、靴下
の中のもりあがった不思議な爪などを思いだしていました。
もちろん、「信仰」に照らし合わせたとき、祖父の魂は
もはや主のもとにあり、体は抜け殻にすぎないのかも知れません。

でも、なんとなく、もう二度とふれることの出来ない、見ること
すらかなわない、祖父の肉体以外のものが、すべて異物に感じられました。

わたしは、孫ですから、みえないところは爪くらいしか知りません。
しかし、妻だったら、(はしたない話ですが)すべてふれて確かめて
抱きしめてあげたくなるのでは・・・と感じました。
遺体がモノではないからこそ、遺体以外のものを取り払いたい衝動
が出てくるのではないだろうか・・・。
御棺も、狭いだろうな・・・、と感じました。
それで、このような表現にしました。

>ツ反

これは、勘違いでした。
残っているのは、種痘ですね。

非常にグロテスクな部分を省いて書いたために
結果としてよく分からないものになってしまいました。

別に、死体愛とかそういうものではないのですが、
愛する人が先に逝ったとき、遺された体にすがる
思いを書いてみました。

しかし、「葬儀」という厳粛な場では、決して赦される
ことではなく、すがりついて、彼の衣服を剥がすなら、
無数の人々の制止を振り切るしか、残された道は
ないのだなぁ・・・と。
「素子」の目に入るのは、単なる手だけで、あとは死んだ彼しか見えていないのだろう
とおもい、このような誇張表現にしました。
(最初は「蛇」という比喩をつかっていたのですが、
修正しました。)


かなり、読みにくいものを書いてしまったようです。

今後は、もっと、素直に、わかりやすい文章を書けるように
努力しようと思っております。

非常に、勉強になります。
またどうぞよろしくお願い致します。
---2007/10/30 19:45追記---

---2007/11/02 10:03追記---
佐々さん、佐藤さん

申しわけございません。

ちょこちょこなおさないで、大胆に修正しようと
思っておりました。
たとえば、
>ツ反

が間違いだから、即「種痘」になおすということではなく、
まったく別の語を入れることも考え中です。



---2007/12/09 23:22追記---
>佐々さん、佐藤さん

ありがとうございました。


死について、別れについて、書くことがいかに難しいかということを改めて痛感しました。
いつか、同じテーマで書いてみたいと思っています。
---2007/12/13 18:19追記---

>古島さん


コメントありがとうございます。

確かに、死は生と不連続です。
しかしながら、死者と別れ、この世に遺されたものは、死者との関係に置いて連続性のなかで生きなくてはならない。

本当に書きたかったのはそこの所です。

自分が死ぬこと。
それは、生との断絶であり、未知の世界に突入することであると思います。
想像すらできない世界へ。

本当に死について理解するということは、不可能なのだと思います。

いただいたコメントをよく噛みしめていきたいと思います。
これからもどうぞよろしくお願い致します。

訂正履歴:
若干修正しました。07-11-8 22:00
若干訂正しました07-9-29 0:09

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