猫とたんぽぽ再び&感動に関するまとまらない考察/佐々宝砂
 
以下の方がこの文書を「良い」と認めました。
- ワタナベ 
-  
ぼくは、島田紳助ふうにゆうと「泣けるやん!」的な、まぁ、いわゆる「うれし泣き」とか「かなし泣き」なぞを
した経験が殆どないので、そちら方面のカンドーはあまり共感できないのですが、そのかわり、「すごい!」とか「わけわからん!」
ものごとに出くわして、カンドーすることはあります。
もう、意味とかりゆーとか、さっぱりわからんけど、とにもかくにも勝手にキモチが走り出して、不安定になって、わぁー ってなって、あっさり自分の結界が壊れて、
気づいたら、しょっぱいものが潤んだ水面からこぼれ落ちそーになる、、みたいな。
で、その感じがちょっと佐々さんの「猫とたんぽぽ」の感じに近いかも、、と思いました。
でも、「その手のカンドー」て何JARO? て思って、ときどき考察してみたりとかするんですが、
たぶん「すごい!」とか「わけわからん!」モノゴトってのは、「自分のキャパシティを超えてるモノゴト」てことで、
ひょんなきっかけで、何かが脳内のキャパ・タンクの容量を超えたとき、感情が溢れ出して、感情の臨界面も、自分(キャパシティの容れ物)も、世界も、決壊して、オーバーフロー、、
しょっぱいものがうるんだ水面からこぼれ落ちてくる、、
よーな気がします。。ぼくの場合、ですが。(もちろん、紳助も好きだし、「牛丼が半額!」みたいな小さなカンドーもいろいろあるわけですが...)
以下の方がポイントなしでコメントを寄せています。
- たりぽん(大理 奔)
私は「受けた」からポイントしたわけではなかったので、
25ポイントの中に数えられてしまうならコメントだけ
にしておけばよかったなぁと。だから今回はコメントの
みで。

- あおば
チビが7歳というのには驚きました。
この話は、今年の春のことではなくて、何年か前のことなのでしょうか。家猫になってしまったチビの意見も聞いてみたい気もします。
- FUBAR
感動って訓練じゃない?
感動は訓練しなければ持てないと思う・・・・・・
んー、
掴めそうで掴めない
- 塩水和音
ひとつ思ったのは、合理的であることは感動をもたらすのではないかってことです。
一流の野球選手のバッティングフォームが感動的なのは、一流のサッカー選手のシュートが感動的なのと同じ様に、合理的だからでしょう。
共通のロジックや心情を持ってるか、相手のロジックや心情を理解できることが前提で、そんな時の共感が感動なのかも。
 
作者より:
チビ猫とおばあちゃん猫は別猫です。
チビもおばあちゃんになってきましたが7歳。
おばあちゃん猫は13歳です

---2007/08/07 18:23追記---

ある・たりぽんさんすみません・・・
削除したときは私のどこかがプッツンしてたと思います。
ポイントにはいろいろな意味があるはずなのに。

今回投稿したのは、削除しちゃってすみませんの意味もあります。
---2007/08/07 21:34追記---

チビ猫をはじめて家にあげてから数年が経つと思います。
「猫とたんぽぽ」の瞬間も数年ほど前でしょう。
チビ猫をみるたび思い出すので記憶は今も鮮やかです。

チビは家猫になりきらない猫で、家出ばかりしています。
うちに帰ってくるのは眠いときとおなかがすいたとき。
まあ猫というのはそんなもので、だから私は猫が好きです。

訂正履歴:
微妙に訂正07-8-8 3:04
一字訂正07-8-8 2:49

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