自然発火現象/狩心
 
以下の方がこの文書を「良い」と認めました。
- atsuchan69 
2回ポイント入れました。(あー、でも一個しか入んねぇ。
- たたたろろろろ 
ああ、すごいですっ!!
こんなにストレートに真っ当なメッセージをぶつけながら
詩としてもすごく刺さるものになっていて。
(たぶんゴジラに触れている連で、ねじれているのが)

あと、みさとさんへのレスも。
これをあわせて読むとさらに狩心さんの考えてることがわかります。
ぼくは頭がよくないのだなぁー
- soft_machine 
際どいまどろみなのか、安定した疾走なのか。
ベクトルの放射が楽しい♪
哲なのか、念なのか。
繊細な感覚や思考の、力技。
センス。
ことば選びも秀逸。

みさとさんのコメント読みました。
『放火』という言葉そのものの明快な(日常での使用に限定された)意味で、作中に於いて認識しているのでは?と考えました。

実際に『放火』に遭った方がこの詩を読んで、どう思うでしょうか。
その事を考えず、或は考え、そして作者が綴る『放火』は、己を映す鏡のようなもので、実際に作者が発火することはなくとも、その思想や倫理がいつしか、或はこれまでも、自業自得となって心や体を損なわせるものですよ。
勝手な解釈ですが、そんな意見かなと感じました。
まして、その修飾が『素直』ならば何をかは言わんや。
みさとさん、俺の勘違いでしたら遠慮なく仰って下さい、訂正、削除しますね。

コメント、正論だと思いましたが、紋と切られた言葉よりも、作者の気持ちも、もっと感じて考えて、自分の中にこそ答えを求めてコメントできれば、もっと相手にも伝わる言葉を見つけられると思いますよ。
大切なのは、伝わる。という事だから。
もっと相手に優しく。
なにより、自分に優しく。

俺も、その表現はちょっと引っ掛かったよ。
ちょっと感じが薄く思えたから、その言葉に、日常限定品としての作用を憶え。
少し違和感が、ね。
- 太郎本人 
 
作者より:
<鈴木ふらんす(retro)>さん
<相田 九龍>さん
<atsuchan69>さん
<真山儀一郎>さん
<たたたろろろろ>さん
<soft_machine>さん
<太郎本人>さん
<みさと>さん

ぬお・1・2・3・4・!Q&A!

<atsuchan69>さん
いつもすいません。。あなたのポイントは私の精神安定剤です。
ポイントが入らない時は、一日中、痙攣しています。。

<たたたろろろろ>さん
ありがとうごじあまちゅ!
詩らしくない言葉を使って、詩になるのか。。なんてことを考えたりしてました。
結局、気持ちの持って行き方が重要なんだなとか思って、噛み締めている日々です。

たぶん、ゴジラの部分がないと面白味に欠けるんだろうなぁとか思いながら、
やっぱり、表現作品ってのは、娯楽と学問の合体物なんだなーとか、思います。

社会問題とか社会の影響責任とか、考え出したら切りがないんですが、
いくら、社会(外界)がダメだって愚痴を言っても、
最終的にはもう、自分が個人としてどうするか、でしかないですよね。

「わたしはわたし、あなたはあなた」という言葉が、
まるで、相手と自分を傷つけないようにする為のやさしい言葉(偽善)として乱用されていますが、
これはもう、完全に言葉の一人歩きですね。
言い換えてしまえば、「私はあなたに干渉しません。だから、あなたも私に干渉しないでください。」
ってことですからね。こんな糞極まりない態度はまったく許し難いものですよ。
「言葉の表面的なイメージ」ではなくて、「その裏側に潜む真の意味」を感じてほしいなぁと思います。
今でも現在進行形で、「わたしはわたし、あなたはあなた」という台詞が「やさしい言葉」だと勘違いして使っている人々が大勢いるんでしょうね。
実はその言葉自体は悪くないんですよ。元々は、いい言葉なんです。
お互いの個性(違い)を認めようとすることを主張している言葉ですから、いいんですよ。
個人主義っぽくて良いんですよ。相手を認め、自分も認めてもらってね。
(しかし、「別の意味が付加されちまった」んですね。自分勝手な個人の集合意識のせいで。)
じゃあ何が問題なのかと言うと、その言葉を使う人の心の持ち方の問題なんですよ。
つまり、どういう意図でその言葉を発したかによって、同じ言葉でも全然違ってくるんです。
と・・・これ以上話しますとだいぶうざったい話になるので止めます・・・既にもう大分うざいけど・・・w
とりあえず、情報化社会の情報垂れ流しに洗脳されないように、
選別するという主体性を保っていきたいです。
物質だけじゃなく、言葉の使い方や言葉の真意への判断もそれに当たる。
(特に詩人ならば、言葉の真意に敏感になるべきだわさ)
特に若者。。がんばれ。わたしゃ若者が心配でならない。
いやまぁ、じじいたちも大分やばいけど。。

>ぼくは頭がよくないのだなぁー

はははw 僕もよく自分の事をそういう風に言いますw

<soft_machine>さん
私も表現する者として、だいぶ至らないところがありますね。。
私は暴風雨なんだろうなとつくづく思います。
詩とか現代詩フォーラムだけでなく、映画制作していた頃やゲームやってた頃など、
もっと遡れば、学生時代の友人との関係や遊びの中でも、さらには両親とも。
他者との関係というのは、死ぬまでついて回る永遠のテーマですね。。。
とにかく、忘れずに、反省し続けようと思います。。すいません。微力で。
コメントありがとうございました。

<みさと>さん
みさとさんとは思想が違うので、必然的に対立する羽目になるのですが、
ええと、ちょっと僕が分からないのは、
みさとさんは、「素直な放火」という言葉をどういう意味で解釈なさったのでしょうか。
みさとさんの今回のコメントだけでは、それが今一分からないので、
ちゃんとその返答になるかどうか分かりかねますが、
一応、自分なりに答えになりそうなことを書いてみます。

まず、人と人の仲が深まる過程として、まったく苦しむことなく、傷付くこともなく、親密になれるなんてことあり得ません(希少なものは除く)。
さらには、人と人が接するとき、少なくともどちらか一方が主体的に動かないと、何も始まりません。
というか、二人とも心を閉ざして、自分を守ってばっかじゃ、ダメでしょ?

人は他者の家に、感情の放火をするわけですが、そりゃあ、大切な自分の家を燃やされちゃ腹が立ちますがね、
でも、全焼するわけじゃないんだから、そんなに苛々しなくてもいいじゃない。

火をつけ合って、火を消し合って、そんなこんなしている内に関係性が築かれ、理解が進み、歴史ができるじゃない。いとしいよ。

苦しみたくないなんていう人は根本的にダメだと、私は思うよ。だってそれって、葛藤の放棄だろ?
(こんなトゲ付いた台詞を吐いても、私には何のメリットもない気はしますが。)

物事が成熟するには忍耐と長い時間が必要なんだから、辛いからとか苦しいからとかいって、
すぐに投げ出しちゃ、何も実にならない。

むしろ俺は、自分の家の至る所に他者の火が点きまくって、その業火の中で踊り狂いたいけどね。

人が苦しむ傷付く云々で言ったら、そりゃあまぁ、
傷付いた方は「傷付きました」って相手に知らせるべきだし、
傷つけた方は「ごめんなさい」って謝るべきだろうけど、
これって普通のコミュニケーションじゃない?よくある普通の。うん、これ。
はじめっから人を苦しめないような事だけをしなさい、なんてこと言う人がいたら、
そいつは何も分かっちゃいないです。

>自分以外のことを考えない

そりゃあ、そんな奴はダメです。わたしはそんな奴は応援しません。。。
・・・って、ええと・・・わたし、作品の中でこんなこと述べてますっけ・・・

という感じで、結構長々と、しゃべってみましたが、みさとさんのコメントへの返信になったでしょうか・・・
うーん、たぶん、こういうことが聞きたかったんじゃないかなぁ・・みさとさんは。ちがう?

コメントありがとう。異論あったらいつでもバンバン来て。


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