病いが理解できない人たち/クリ
 
以下の方がこの文書を「良い」と認めました。
- 佐々宝砂 
へんな話かもしれないけど渦巻さんにもぽいんとあげたい。
- とうどうせいら 
自分の友達がなにか病気になった場合、
精神科もそうでない科も含めて、知らない病気だった場合は、
本を読んだり人にきいたりしてその病気について勉強したりします。
カウンセリングルームや病院が必要なのに勇気がなく行けないという場合は探して、
いっしょに付き添っていくことがあります。

言い方が悪いかもしれませんが、うちの猫が病気になったら、
獣医さんに連れて行くのといっしょで、
知り合いの病気にはついて行くものだと思っています。
なぜかはわかりません。うーん。周りの影響かな? 親戚とか。
- 優飛 
- 北野つづみ 
病が理解できないことを責めてはいけないのだと思う。
身近にいる人は、一人の人間として相手の全てを受け入れようと努力することが必要だろうと思う。

追記
スタンスは最初から解っています。
一番怖いのは、生半可に病気を知って、
自分は知っているのだと、病人に思い込みを押し付けてくること。
それを優しさだと思っていること。責任を取らないこと。
個人としては、ありのままの自分を受け入れて欲しい。
知識はなくていいから・・・。

教育は洗脳だということも、忘れずに。

- いとう 
- 佩慈の工人 
- 1486 106 
- るか 
- 岡部淳太郎 
- あおば 
- 嘉野千尋 
- 逢坂桜 
- 佐藤伊織 
- てんだい 
以下の方がポイントなしでコメントを寄せています。
- 渦巻二三五
おっしゃること、よくわかります。
でも、精神病や脳障害などは、身内だからこそ無意識に理解を拒んでしまう場合もあります。
私の夫は脳障害で重度障害者となりましたが、彼の両親は息子の障害や苦悩について理解することを拒絶し、繰り返し彼を傷つけました。
にもかかわらず、自分たちは全てを理解していると言います。
彼の両親は息子をとても愛しています。それでも、です。
この問題は一筋縄ではいきません。
啓蒙・教育を広く行き渡らせることが肝要だと思います。
私も必死に学びました。そして自分が何も知らなかったことに、何も知らされずにきたことに、愕然としました。
 
作者より:
2006.01.09
みなさん、ありがとうございます。

言い訳がましく聞こえるかも知れませんが、僕はエッセイのような文章を書く時は、バランスの取れたスタンスでは書かないことにしています。
分かりにくい表現かも知れませんね。つまり、「でも、こういう逆な考え方もある」「見方を変えれば、こうこうだ」という書き方を意識して避けます。

具体的なふたつの「事件」に遭遇したこともあり、「心の病い」に気づくのがいちばん遅いのが、実は家族である、ということは知っていました。
でも、ここではそれに触れませんでした。

ふたつの事件のうち、ひとつだけお話しします。
ずいぶん前の話ですが、僕の職場に、明らかに言行の異常な女性が乱入してきまして、
もうどうにも手に負えなくて、警察を呼んだのです、不本意ではありましたが。
彼女の興奮が収まらず、ついには夫と連絡を取り、来ていただいたのですが、彼は、
頑として「妻がおかしいはずはない」と電話で言い張っていたのです。
しかし、到着して奥様の様子を見るにいたって、初めて、「おかしい」と感じられたのでした。
彼は、まったく気づいていなかった、とおっしゃってました。
その女性は、僕の職場 - 社会人の教育機関 - つまり「学校」ですが、そのクラスメイトたちからは、何度もクレームが寄せられていたのです。
「問題児」だったのです。
ご主人は、初めて現状を目の当たりにして、ショックを受けておられました。

家族が、心の病いに気づかない理由は、複数あると考えます。
でも、グローバルな理由のひとつが「無知」だと思います。
つまり、「心の病い」を「病気」だと分かっていないのです。
そのことだけに絞って、ここに書きました。

すべてをあまねく、多くの人に知ってもらおう、という試みは成功しないこと、分かっています。
ひとつひとつ、です。

「ふたつの事件」の残るひとつは、僕自身のことです。
今はまだ、書く気がないのです。
でも、いずれ、書けるときが来ると、思います。


蛇足ですが、今の(特に)日本のジャーナリズムが忘れている使命は、渦巻二三五さんが触れているように、
「啓蒙・教育」
だと思います。

ありがとうございました。

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