下駄ばきにミニシガー/m.qyi
ま のすけさんのコメント
 う〜ん、確かに、この「なり」は、断定の「なり」のようですねぇ。

 掲句の場合、その「男なり」の前に用いられている、「ような」の短縮系
 「よな」が、作者が提示した「二階家で蝶を飼う」を<虚>へと遠ざけている
 とともに、
 「マジンガーZも踏みつけちゃうような男だぜ、ホントよ、ほんとだってばよ」
 といった会話文の片割れのように捉えるてみると、その《男》は、その場に
 居る必要はなくなってしまうので、どこか「伝聞」的にも感じられたのかも
 知れませんね。
 同じ「断定」でも、紙に向かって書かれた報告的な「断定」と、とは異なる
 会話中の「断定」では、当然、その「断定」の強さも変わって来るでしょうし、
 その中で《断定された情報》でも、伝達しているという状況を第三者的に、
 横から聞いてしまう立場で読めば、同じ語もやや「伝聞」的な要素を含み
 聞こえてくるはずです。
 でなければ、修飾が異なるとはいえ、言語学上、同じ語が「断定」「伝聞」
 ふたつの役割を担うことはナカッタでしょうから。
 でも、自分も、これが試験問題なら「断定」と書いておくだろうと思います。


 「ねぇ、ばぁちゃん。ばぁちゃんの初恋の人ってどんな人だったの?」
 祖母は、海に向いた窓から、遠くの夏を眺めてボソリ、
 「二階屋で蝶を飼うような・・」。

 とか、熊・八の八っつあんが
 「二階屋で蝶を飼うような男…」と、すかさず熊さん
 「てやんでぇ〜、ば〜ろぉ、そんなヤツいるかってぇ〜の」
 「で、でもよぉオイラこの目で確かに・・」

 のように、いくつかのことなったシチュエーションを想像しながら読むとき、
 古月さんのこの上質な川柳が、幾重もの味わいをもって、読み手の体内に
 入って来てくれるのでしょうね。 至福のひと時です。(微笑)


 話変わりますが、『役者論』なかなか面白く読ませて頂きました。
 「二階屋」「蝶」「飼う」「おとこ」「なり」の語をひとつずつ押さえ、
 あるいは同列の他の語句を代入しながら読んではみましたが、う〜ん、
 難しい。どれが真打の役者なのか、判るようで判らないようで…。
 「平屋にて犬を飼ひいるマダムなやて」では、くだけ過ぎですしね。
 「飼う」を「噛む」なら、川柳ではなく、もうギャグの範疇でしょう。 

 最後に。
 m.qyiさんのこちらの文章の中で、とても好きだったのが、やはりタイトルと
 されている部分。
 >もう日本に人生の半分以上もおらず、読み物といい、日本の古典などよりも
 >外国語の方が多いだろうと思うこんな自分もこんな語感があるのかと驚いた。
 >それで僕は下駄ばきにミニシガーなんぞ咥えてんだなと。

  好いですねぇ、m.qyiさんのお人柄まで想像しながら、楽しく読ませて
  頂きました。 ありがとうございます。