おかえりなさい/るるりら
黒髪さんのコメント
自分自身が耐えてこられたためでしょうか、強さを感じられるところは、いつも、るるりらさんの詩の特徴となっていますが、一般的な形から繰り出される個別的優しさがあると思います。大切な言葉を、「おかえりなさい」とただ一語に出すこと。それは、誰もかも、何物も、帰ってくるはずだということ。きちんとされるなら、新しく懐かしい現実の、目に捉えた世界に、嘘をつかれない。何もなくない世の中だと、くたびれた頭が冷やされるようで、時のすぎるに合わせて、抜け道があるはずだと考える僕は、それゆえにるるりらさんにも超越の瞬間を、ぜひとも、つかんでいただきたい、僭越ながらそんな風に思いました。さよならはおかえりなさいで乗り越えられる。そんな優しさを、育ててこられ、またご自分の中に持って生まれたこと、そういう人が、現在の中に卵を温めているような感じがします。カーテンを引くのは、心を隠すためではない。強すぎる光を、言葉という熱帯植物で覆い隠し、存在の中で卵をあたためること。卵が生まれてカーテンを開いて、雛は柔らかな空気の中の太陽光を、生まれて初めて浴びる。そのとき親鳥は、まぶしい光の中に心を解放する。このままいけば、死の国を飛び越え、人々の約束が、心の重なり、となり、さよならの次はおかえりなさいと言ってくれる人が待っているはず、さよならを言うのは生きている人ですよ。さよならを言われたら、おわりじゃなくて、おかえりなさいですよ。その地では、何物も、奪い合ったり争ったりする必要がないのです。心と魂が、めぐるものである限り、いつもさようならです。いつか迎えられるために心の場がある。時間の概念を失ったところ、極楽浄土の地に。