世界は冬の夕方/左屋百色
ゴースト(無月野青馬)さんのコメント
思ったことをそのまま書きます
・・・前2作と併せて読んでおりますが、
とても悲しい作品が続いていると思いました。
とくに「冬の檸檬」との繋がりでは、
際立って寂しさが表現されています。
この際立った寂しさは、どこから来るのでしょうか・・・。
そう思っても、
読者は、
>言葉では
>もう何も
>伝えられはしないでしょう。
>世界の残響は遠すぎて
>冬の夕方は冷たすぎて
という詩句に、
突き当たるしかありません。
この作品の核を成す主体は、
>私は
>私の世界でならば
>誰よりも速く走れます
と語り、
韋駄天のように、
何処から何処へと行き過ぎてしまいます。
その“行き過ぎる、行き過ぎられる”関係性こそが、
2作品に共通して冠せられている“冬”の深意なのだと受け取れました。
大したことは、書けていないと思いますが、
このようなことを思いました。