「沈黙」についてのノート--ヴィトゲンシュタイン、G.スタイナー、石原吉郎の「沈黙」/N.K.
……とある蛙さんのコメント
難しすぎてよく理解していませんが、
角川選書の「詩とは何か」のシンポジウムで田村隆一氏の現代詩は詩形を一篇一篇作らなければならないとの発言を受けて(フリーバースの問題)大岡信氏が自由詩の沈黙との関係に関して次のとおり述べています。近代的自我意識が詩歌をして集団の感情を歌い上げるものではないものとした。ここから必然的に詩歌は定型から自由になった。個人個人の複雑な感情を詩にせざるを得なくなり、象徴主義でかつフリーバースとせざるを得なくなった。…つまり芸術は形のないある世界を形にすることを目指すようになる。詩作とは形のない沈黙の世界に言葉を投げ込んである種の形を作ろうする試みとその結果と成らざるを得ない。しかも言葉は背後にある巨大な沈黙の、一角とも言えない一部が露呈したもので、しかも、大岡信氏の実感としては詩は露呈した瞬間、背後の沈黙と対立するものであるとしている。結局一篇の詩の感動は背後にある沈黙の大きさに左右される。としています。まだ十分理解できないので個人的には論評しませんが、何となく分かる気がします。ストレートに言葉にできない何かを作り出すのが詩であることは間違いないからです。