おいで、ぼくのかわいい憂鬱/竜門勇気
竜門勇気さんのコメント
僕は教師じゃないので、教師は教師ではないので
僕は僕でもないので、他者は僕ではないので
他者は教師であるので、僕は教師でないので
かわいいかわいい僕の憂鬱
かわいいかわいい僕の教師
僕は憂鬱であるとき、誰かの教師かもしれないしそうではないかもしれない
僕は誰かの教師であるときには、憂鬱であるのかもしれないしそれ以外であるかもしれない
それ以外で有るかもしれない僕は憂鬱な教師である
そうではない僕は教師の憂鬱である
かわいいかわいい教師の憂鬱の憂鬱
かわいいかわいい教師の憂鬱の教師
憂鬱は教師であるので憂鬱であるので教師である
教師は憂鬱であるので教師であるので憂鬱である
僕は僕でもないので、教師ではあるかもしれない
教師は僕であるかもしれないので他者は僕であるかもしれない
他者は教師であるので僕は他者であるかもしれない
かわいいかわいい僕の憂鬱
僕は他者であるので教師であるかもしれない
僕は教師であるので教えるものであるので
反物質でできた反教師(仮想的な定義:仮定)ではない
でも反面教師ではあるかもしれませんね。ただ反面教師的に詩とかを描いたりするときには中途半端にそのメッセージをあらわすとくさくなるのでちゃんとしないとだめだとおもいますよね。
”こいつまじでこんな事考えてんのか?”ぐらいじゃないと変に見透かされると逆効果かなと。わざと露悪的に言ってんのか?とか思われると安っぽく感じられるのかと思います。トモフスキーっていう人が”何がなんでも自分を肯定できなきゃ、何をやってもダメだ、きっと。”って言ってましたよ。ひとかけらも肯定できない言葉なんて自分から出しちゃだめですもんね。だからタイトルはどう伝えたいかじゃなくてどうあって欲しいかでつけるとうまくいくんじゃないでしょうか。(急に正気になるボケです)(この詩のタイトルはミッシェルガンエレファントのマシュマロ・モンスターと言う曲の歌詞からのインスピレーションです。)(歌い出しが”ウェルカム、ウェルカム、マシュマロモンスター”という歌詞なので)