トーキョー/10min./石畑由紀子
石畑由紀子さんのコメント
サンクス。敬称略。
鈴木もとこ
馬野幹『金(キム)』http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=62375

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・uminekoさん
うん。この場所で。


・小川さん
はじめまして。本当、そうですよね >トーキョーを知らないほど、トーキョーはトーキョー
私はここ7年ほど、人に会う旅として年に1〜2回は東京に足を運んでいるんですが、人の生身を感じることはあっても、それを包む東京という街自体の生身にはなかなか出会えず、トーキョーは私にとってどこまでもトーキョーというカタカナ表記の街でしかありませんでした。それが今回、2年ぶりに足を運びこのエピソードに遭遇したことで、記号化されたトーキョーと生身の東京が急に切実なうねりをあげて私になだれ込んできたんです。だからこれはどうしても、書き残しておきたかった。
小川さん、メッセージをありがとう。


・石川さん
数年ぶりに、このような饒舌な詩を書きなぐりました。感じてくださって。感謝。


・リヅさん
西荻窪、居合わせてらしたんですね。あれからも幾度となく同じような光景が東京にあっただろうとおもいます。空気、感じてくださってありがとう。


・もとこさん
この詩は、あの日もとこさんとの会話がなければきっと存在しませんでした。あの日とは別の出来事として八王子のエピソードを基に書き残すとしても、まったく別の形になってたとおもいます。私こそ、ありがとう。
トーキョーも東京も、北海道もさ、それぞれしんどい。けど。生き残り続けていこう。


・松岡さん
今回の上京で、東京はトーキョーという隙のないメイクを施したまま、しかしとても切実な呻きをあげているようにもおもえました。何度足を運んでも旅人以上にはなれない私だけど、この呻きを聞いた者としてどうしても書いておかなければ、と。
適応も、命あるものが生きてゆくための知恵なのですよね。それがかなしい方向に伸びてゆくとしても。
適応できなかった人びとの呻きをも内包しているのが、トーキョーという街なのかもしれません。
松岡さん、コメントいただけて嬉しいです。ありがとうございます。