岸田劉生「写実論」を読み解いて考える、批評とは何か/中川達矢
N.K.さんのコメント
岸田劉生の写実論は、いつ書かれたものでしょうか?大正時代に
書かれたものであれば、明治時代に漱石において問題になる近代
的自我と自然の問題や浪漫派などに見られる自然と人間の一体感
の微妙な(?)バランスの上に立っているのが、岸田劉生の「心」
のように思えます。
 いつもながら、批評について、大変勉強になります。
 岸田劉生というと、麗子像が思い浮かびますが、自分に思い浮
ぶのは、カレンダーにあったコピーの麗子像だったりします。
 文章の中でも触れられていましたが、コピーは「魂が抜かれ
た(?)」ものという判断のみを強調する事はできないような気
がします。こう言ってよければ、複製技術時代は、比較的新しい
事態だとも思うのですが、儀式とは別に美があっても良いような
気はしますし、(もちろん、儀式と共に美があってもいいのです
が)絵画の写実主義もA.ワイエスなどを経て、スーパーリアリ
ズム(だったか)に至る展開があったり、「現実感(!)」を出
すために一度写真に撮ったものを見て、それを描いたりする手法
の画家が出てきたり、(日曜美術館か何かで少し前に特集してま
した)して、より複雑な展開を見せていたりすると思います。
 岸田劉生はこのような「心」を巡る事態をどう思うでしょうか
?(自分としては、どう面白がるのだろうか?と思っています。)
 コメントが脱線ばかりでごめんなさい。

---2013/08/05 18:32追記---