猫とたんぽぽ再び&感動に関するまとまらない考察/佐々宝砂
さんのコメント
ぼくは、島田紳助ふうにゆうと「泣けるやん!」的な、まぁ、いわゆる「うれし泣き」とか「かなし泣き」なぞを
した経験が殆どないので、そちら方面のカンドーはあまり共感できないのですが、そのかわり、「すごい!」とか「わけわからん!」
ものごとに出くわして、カンドーすることはあります。
もう、意味とかりゆーとか、さっぱりわからんけど、とにもかくにも勝手にキモチが走り出して、不安定になって、わぁー ってなって、あっさり自分の結界が壊れて、
気づいたら、しょっぱいものが潤んだ水面からこぼれ落ちそーになる、、みたいな。
で、その感じがちょっと佐々さんの「猫とたんぽぽ」の感じに近いかも、、と思いました。
でも、「その手のカンドー」て何JARO? て思って、ときどき考察してみたりとかするんですが、
たぶん「すごい!」とか「わけわからん!」モノゴトってのは、「自分のキャパシティを超えてるモノゴト」てことで、
ひょんなきっかけで、何かが脳内のキャパ・タンクの容量を超えたとき、感情が溢れ出して、感情の臨界面も、自分(キャパシティの容れ物)も、世界も、決壊して、オーバーフロー、、
しょっぱいものがうるんだ水面からこぼれ落ちてくる、、
よーな気がします。。ぼくの場合、ですが。(もちろん、紳助も好きだし、「牛丼が半額!」みたいな小さなカンドーもいろいろあるわけですが...)