農家切り捨て論のウソ、の嘘/はらだまさる
はらだまさるさんのコメント
長いのに読んでくださってありがとうございます、拝
意見・反論お待ちしています ―― 9/28のブログより転載
---2007/10/24 23:36追記---

たくさんのコメントありがとうございます

かのっぴさん

これは教授の姿勢、その発言に対する反応なんで、売り言葉に買い言葉、コール&レスポンス、阿吽の、その、あれです。議論するつもりの文章ではないです。経済の視点から語られることにも関心があるから、こういった文章を読んでる訳でして。必要以上の批判をくわえているのは教授ではないですかね。影響力の大きさから考えれば、ぼくの文章の非ではないはずです。ありがとうございます。

フジシロ武さん

経済を悪者にしてるつもりはないんですけど、そう読まれたなら仕方ないですね。技術不足です。ぼくが叩きたいのはこの教授の卑劣さプラス、一種の権力に靡いてしまう世論の脆弱さです。勿論、経済学の観点だけで語ることも大切だと思います。問題というのは色々な角度から意見があって然るべきやと思いますし、そういうのがないといけないとも思ってますが、この教授の言葉には(ぼくの中ではかなり珍しく)個人的に腹が立ったので、文章化してみた次第です。
お金は大事です。お金がないと困るし、精神衛生上にもよくない。今現在そういう社会ですから。ただ経済的富の分配だけじゃ人間の幸福がほど遠いってのは、わかりきっていることだと思います。人々はお金だけでは生きてゆけない、ということを言いたいだけです。経済「だけ」じゃ駄目なんですよ。大半の政治家はお金のことを国益、国益とか言ってるように聞こえますが、国益ってのはお金だけではないし、そのことで失ってるものの大きさも、ちゃんと考えないといけないと思います。
で、フジシロさんがおっしゃるように自給率ゼロで仮に安全な(と謳われている、それっぽい、確証のない)ものが食べられたとしても、本当においしいものは食べられないでしょう。例えば自分が一から耕した畑で、愛情と手間隙かけて育て、自分の手で今まさに捥ぎ獲った野菜をそのまま齧る、もしくは出来るだけ新鮮な状態で料理したものと、輸入した「それ」は、比べものにならないと思います。自給率ゼロなんかになれば、「日本から優れた料理人がいなくなる」なんてことも起こり得るでしょうね。まずそんなの料理人が許さないですよ。なのでそれくらいの可能性で、ゼロにはならないだろうという楽観もしているのですが。

確かにぼくを含め、今現在多くの人が自分の食べものを他人に任せています。でもぼくがこの文章をここに投稿した理由は「果たして本当にそれでいいのか?」っていう疑問を持たないことの危険を考えましょうってことです。どこまで見ず知らずの他人に任せられますか?会ったことも話したこともない、言葉も通じない、お金だけで人を操るような人のために、どれだけおいしい作物を作ろうと考えるでしょうか?勿論中には当然、誠実に愛情いっぱいで育ててる人もいるでしょう。しかし、すでに同じ国の人が食べる食材に廃肉を使ったり、冷凍して使い回したり、着色したり、それっぽい匂いを科学的に造ったり、隣り近所の国では肉まんにダンボールまで使うような、そんな生き物であるのも確かです。詩も映画もショッピングも恋愛も仕事もいいけど、偶には田畑へ出てもええんちゃう?ってことです。

最近特に感じることですけど、フィールドワークってどんな分野でも、かなり重要ではないかなぁと思っています。反論ありがとうございました。