黒い光輪。/田中宏輔
atsuchan69さんのコメント
傑作です。一気に読みました。さらにもう一度読み返そうと思います。
---2023/05/29 06:02追記---
再読しました。

この作品は、かなり大胆な仮説によって書かれているのは間違いなく、ボクの読み間違いでなければ、
①よみがえったのはイエスではなく、髭を剃るとイエスと似た顔だったバラバ
②ユダが死んだのは首を吊ったのではなく、バラバに腹を刺され殺された
③ユダは裏切ったのではなく、ただ純粋に死んだ後三日後に蘇ることを確かめたかった
――等が挙げられます
まず、②から話しますが、ユダの死はマタイによる福音書と使徒行伝では記述が違っています。
マタイ:「そこで、彼は銀貨を聖所に投げ込んで出て行き、首をつって死んだ」
使徒:「彼は不義の報酬で、ある地所を手に入れたが、そこへまっさかさまに落ちて、腹がまん中から引き裂け、はらわたがみな流れ出てしまった」
この記述の違いについては、旧約聖書の「預言の成就」へ導くためのエラーであると指摘する人がいます。
つまり新約聖書の記述じたいにツッコミどころがあるわけですから、作品上の自由な解釈は認めなければならないでしょう。
①についても同様に、髭を剃ったバラバがイエスと似ていても創作上の設定に「それはアカン」とは言えません。
③については、外典の「ユダの福音書※」によれば「イスカリオテのユダが実はイエス・キリストの弟子の中の誰よりも真理を授かっており、『裏切り』自体もイエス・キリスト自身がユダへ指示したものであるとしている」ことになっています。(※Wikipedia)
また、ユダという人物じたいが「旧約聖書の『預言の成就』へ導くための創作」であると主張する人もいます。

ですが作品上最も注目すべきところは、「イエスの蘇り」の否定、もしくはユダの見た「幻?」の部分です。

これはキリスト教の根本的な教義を揺るがす部分でもあり、ボクはこれには否定も肯定もしませんが、【信仰とは、眼に見えないものを信じること】とだけ書いておきます。