うだうだと月見酒/プル式
渦巻二三五さんのコメント
ネットでみられる「自己発露」は、自分のなかの見せたい部分だけを見せたいように見せる、というものが大半だと思います。
あるいは、虚構の自分を表現している。
誰しも自己のなかに矛盾を抱えているものですが、あたかも物語の登場人物のように完全に統合された人格を持つ自分を作り上げている。
自分にとって不都合な矛盾を切り捨てて好ましい部分のみをもって自身の人格としている。
そうした形での「自己発露」は、ほんとうに自由な自己発露とは言えないのではないかと、私は思っています。
矛盾を内包しない「ネット人格」によって書かれた詩をどう読むか、私は考え込んでしまいます。


---2007/08/02 09:34追記---
プル式さん
>自分のことをありのままに伝える事が出来る人間がどれほど居るでしょうか。多分、僕の知り合いの中には一人も居ません。「自己発露」とは自分の「こう在りたい」というものの現れなのではないでしょうか?
>矛盾を内包しないネット人格というもの、ネットの中でのみ生きる人格は、多分、そこでは生きているのです。そうして、その中で、矛盾を気づかずに内包しているのだと思います。漫画的に言えばジョジョのスタンドみたいなものだと思います。
>つまり、こう在りたいという意識が生み出した人格。じゃないかと。

返信ありがとうございます。
私が申し上げた「自由な自己発露」は「自分のことをありのままに伝える事」とは違うのですが、今まだうまく説明できなくてもどかしいです。
「矛盾を内包しないネット人格」あるいは「こう在りたいという意識が生み出した人格」、このような不自然な人格に対する戸惑いが私にはあるんです。私自身は、なるべく我が身に添ったものを書くようにいつも意識しているものですから。
たとえば、ある人の書いたものを読んで感想を持ち、その作者の人となりについて思いめぐらせることがありますが、「これは(この文章を書いたのは)まったくの自分ではない」と作者が言うとしたら…
みなさんはどう折り合いをつけているのかなぁと考えることしきりです。
実際お会いすることができれば、いっぺんに解決してしまうことなのかもしれませんが。
コミックはほとんど存じませんで、お話のたとえがわからりませんでした。ごめんなさい。
---2007/08/02 10:02追記---