詩学社、そして寺西さん/角田寿星
ピクルスさんのコメント
急に死ぬか、ゆっくりと死ぬか、いずれにしろ私(達)は必ず死ぬ有限な存在だけれども、
詩は、さにあらず。と私は思うのです。

私は、詩学社の最終在庫を預かっている身ではありますが、それは、当時、他に誰も引き受ける方がいらっしゃらなかっただけの事でしかありません(私の知る限り、に於いての話ですが)。
みなさん、意見や思惑や、追憶から利害まで、その他いろいろあるでしょうけれども、それぞれが、詩を書く、または読むことこそが、寺西さんの追悼にも繋がるのではないかな、と考えます。

また、寺西さんや詩学社に対して批判的なスタンスを取る事にも一理あるとは思いますが、それってつまりは、寺西さんなり詩学社なりの失敗から学び、それを繰り返さなかった、という事によってのみ正当性を獲得出来るような気はします。それ以外は、概ね、単なる愚痴か、反論の機会を奪われた他者を罵倒する事によって足りるをささやかな満足とする子供の発想でしかないのではないかな?とも。

献花に代えて。

ピクルス拝