詩の試みー知りすぎている貧しさの中で mixi日記より 2010.12.9/前田ふむふむ
前田ふむふむさんのコメント
・・・とある蛙さん、
読んでくださりありがとうございます。
詩的言語、は
そのまんま、読んで下さればよいのですが、
「死体」という言葉には、詩的なイメージ、メタファーが多く含意している
言葉である、という意味で詩的言語と言っています。
(正しいか、正しくないか別にして、私は、ここにおいてはそういう風に用いています。)
簡単に、考えて下さい、
でも、敢えて、理論的に言えば、(そんな風に難しく考えなくても良いのですが)
シロクフスキーの提唱した
「異化」のようなものの見方でしょうか。
詩的言語においては、一般的な言語においてより、
生々しい言語的な発見が含意しているということでしょうか。
また、ロシア・フォルマリズム全般とかヤコブソンを言い出したら、
大変なので、あとは、理論的に知りたければ、専門書を読んでみてくださいませ。
日本のものでは、
野村喜和夫 や 北川透などの詩論書が、わかりやすいかもしれません。

アラガイさん、
読んで下さりありがとうございます。
「薔薇は硬い」「死んだ言葉」の解釈、ユニークで大変共感いたしました。
そう考えると、
読み手にいかにして、書き手の詩情を伝えるかですね。
それだからこそ、決して相手に伝いにくいものを伝えるのは、詩を書く書き手の
腕であり,醍醐味でしょうか。

PIGGY IN THE MIRRORさん、
ありがとうございます。
そらの珊瑚さん、ありがとうございます。
仰っていること、的を得て妙ですね。^^