ヒューム「ベルグソンの芸術論」(5)/藤原 実
るかさんのコメント
楽しく読みました。現状認識としては、荒地派的な抑圧、悲劇ぶりっこは既に過去のものになっている。今後益々そうなるのは、戦争の記憶のうすらぎの結果として目に見えていますね。わたしなどは寧ろそのような時代の流れへの一種の反抗として、荒地派を高く評価していますが。ナンセンスな詩をことさらに妨害するような野暮は致しません。しかし意味の詩を批判することでモダニズムやナンセンスを持ち上げる振る舞いはやはり政治的意味を担うことになりますね。非政治ないし脱ー政治という政治性。西脇の限界はポエジーと宗教を区別してしまった所に感じます。詩が人を救うといっても、宗教には叶いません。だから宗教未満にしかならない。ナンセンスと宗教の関係や背立にも関心があります。エリオットの諧謔は背景としての信仰が支えているのではないですか。鮎川らの余裕のなさは信心の不徹底と通底しているように思えます。