感情と色彩のエラー/森田拓也
孤蓬さんのコメント
全般的に句の趣向が、どこかで見たような月並調の印象です。

>灯火の点かぬ家の外ほたる飛ぶ
蛍が飛ぶのは「家の外」とあるので、視点は家の中から外を眺めていることが想像されます。
自分は家の中にいるのに、「灯火を点けぬ」ではなく「灯火の点かぬ」と他人事みたいな表現になっているのはなぜか? 停電か故障で灯火が点かないのか、或いは、家の中の視点を有する当事者は、例えば幼い子供で時代設定も電灯がないような昔、蛍が飛ぶ時分になっても親が帰ってこない状況で、幼いために火をおこして灯りを点けることすら出来ず、外で飛ぶ蛍を不安そうに眺めているところなのか、或いはまた、詠者は、空家か廃墟に忍び込んで家の中から外を見ているのかなどといろいろ想像されますが、どうもしっくりきません。
もし、視点が家の外にあるのであれば、「家の外」という表現は適切ではありません。
また、灯火が点かない家と蛍の光という明暗の対比のみを詠んだ句であれば、月並調となります。

>薔薇と薔薇二輪の間に見ゆる海
>向日葵の数多の間に海の見ゆ
何かを透かして海を見るという趣向はありがちで、月並調となります。

>老鶯の声も枯れしか夕暮れに
季節外れの夏まで鳴いている鶯で、もう声も枯れたかという趣向もありがちで、月並調となります。
また、「枯れしか」と過去回想の助動詞の連体形「し」が用いられていますが、ここは文脈上、過去回想ではなく、枯れてしまったという完了の意味ですので、過去回想の助動詞を用いるのは誤りで、完了の助動詞を用いるのが適切です。

>枯るゝまで紫陽花の色移りゆく
土壌のpHや、葉緑素の影響などで紫陽花が色を変えるのは、多くの人が知っている性質です。
多くの人が知っている当り前をそのまま詠むと、句は月並調になります。

>夕立や待ち人の来こぬ雨宿り
雨宿りしながら人を待つという趣向もありがちで、月並調となります。

>涼風や「出入自由」の勝手口
涼風に対し「出入自由」とややおどけたように歓迎するという趣向もありがちで、月並調です。

>捨てられて風に吹かるゝ扇風機
風を起こすはずの扇風機が風に吹かれているという、あべこべを題材にする趣向もありがちで、月並調となります。

>黄ハンカチ高倉健はムショ帰り 
黄色いハンカチ、高倉健、ムショ帰り、どれも映画の設定そのままを並べたのみで、月並調となります。
「黄ハンカチ」という言回しは日本語として舌足らずです。
定型の時数の制限から「黄ハンカチ」というような変な日本語を使ったのでしょうが、そのような強引なことをしても、欠点が目立つばかりになってしまいます。

なお、末尾に絵文字を置いた句をここのところ多用されていますが、十七音の言葉だけでは覚束ないので絵文字を助っ人で呼んだといった格好で、十七音のみの定型に対する作者の覚悟の無さと言いますか、子供が自転車に補助輪を付けるような半人前感を自ら助長するようなものだと思います。