「檻の中の同性愛」/桐ヶ谷忍
とうどうせいらさんのコメント
私も女子高出身です。
女子に向けて書いた詩の半分は異性愛のものとまちがわれているようなので、
誤解されたままにしてそっとしておいてあります。

女子高にいると、ほんとの同性愛ではないのだけど、
軽くエス(姉妹愛みたいなもの)みたいな感じになりやすいですよね、
わたしも桐ヶ谷さんみたいな女の親友もいました。
彼女は結局生涯恋人を作らないまま夭折してしまい、
親友と呼べる人も私以外いなかったので、
今でもずっと、
恋人に不憫な思いをさせてたみたいなきもちのままでいます。
でもわたしに情を寄せてくれたことにかんしゃしています。
「自分みたいな人を好きといってくれて切なくなった」、
まさにその通りだと思います。

私の場合は、女子高時代からの習慣で、
女性同士の親愛の情に対しても、「あいしてる」とか、
詩で書くので、
一般的には男性に向けたラブレターと思われるようです。
性別の区分けが共学の人よりあいまいみたいです。
すきでもあいしてるでも、Loveはloveなのだから、
広い意味でラブレター、ということで、
それでいいのだと思っています。

最近、グローバルなもの、スケールの大きいものを書けず、
ともすると厭世的になってしまいがちな自分の書き物がいやでしたが、
女子高時代は温室のようでいかに中は変わった世界だったかということをおもしろおかしく人に話したら、
「その閉ざされた世界こそあなたの書くものなのではないか」
と言われなんでだか切なくなりました。
檻という表現もなんとなくわかります。
檻なんだけど大事な思い出がいっぱい詰まった檻なんですよね。
でも一般社会に受け入れづらい感覚もあったから、
今まであまりまじめに人に話さないようにしてきました。
それでも自分の出自はそこにあるんだなと今も思います。
もう戻れないけど、なつかしいです。

---2010/10/11 15:14追記---
お返事ありがとうございます。
散文じゃないけど、時々、詩には書いてます。

『エール』(上から二番目です)
http://poenique.jp/kotodama/poe/2007/200707.html

ネットにある詩の中では一番力の要った詩ですが
あんまり大事にしすぎて現Fに転載するということはなんでかまだできていません。

たくさんたまったのでいつか供養もかねて小詩集にしたいと思っています。