桐ヶ谷忍さんの「こころの病についての雑感」を読んで/巴 -t7239-
岡部淳太郎さんのコメント
ちょっと気になったのでポイント。

僕の考えでは、「普通の人」なんてひとりもいません。
誰もがどこかしらおかしな部分を持っていると思う。
ただ、社会の平均値っていうものがあって、
そこに収まる人が普通で収まらない人が普通じゃないと認識されているだけ。
でも、だからといって平均値に収まらないことを気に病む必要なんかまったくなくて、
いま平均値の中に収まっている人も常に平均値の範囲内でゆらゆら揺れている。
だから、もしかしたら明日には突然そこからはみ出してしまうかもしれない。
少なくとも、自分も明日にははみ出してしまうかもしれないという想像力を持てない人が、
「永遠の普通づら」で、はみ出してしまっている人を否定してしまうのだと思う。

それと、「うつ病は格好悪い風潮」というのは、
僕の知る限り、公の社会では存在していないと思います。
うつ病に関する理解を求めるCMが放送されているように、
公の社会ではうつ病を許容する方向に向かっていると思います。
「うつ病は格好悪い」というのはネットや世間の人たちの雰囲気ではそうかもしれない。
でも、それは上に書いたような社会の向かう方向とはずれている認識の足りない考えなので、
そう気にする必要もないと思います。

---2009/06/20 15:42追記---
お返事を読んだ直後で、ちょっと混乱しています。
なんというか、巴 -t7239-さんのコメントの中にある感情にじかに触れてしまったように思えて、
こういう時はたいてい何をしていいのかわからなくなるのですが。

まず、僕が巴 -t7239-さんを怒らせてしまったらしいこと、その点は素直に謝ります。
ですが、僕もほんの一時期(もうだいぶ昔のことですが)通院していたこともあり、
身近にうつ病その他で苦しんでいる人を知ってもいたので、
悪意などというものはまったくなく出て来た言葉だったのです。
悪意がなくても人を怒らせるのは充分ありうることですから、
こっちに悪意がないのに怒られるのは変だとか言っているのではありません。

ただ、巴 -t7239-さんの僕のコメントへの読解にも誤りがあります。
>自分も明日にははみ出してしまうかもしれないという想像力を持てない人が、
>「永遠の普通づら」で、はみ出してしまっている人を否定してしまうのだと思う。
という二行で「永遠の普通づら」をしているのははみ出してしまった人たちの方ではなく、
「自分も明日にははみ出してしまうかもしれないという想像力を持てない人」の方です。
まあ、この部分に関しては僕の文章の書き方が悪いのかもしれませんが。

それと、うつ病が公の社会に認知されているなどと、僕は言ってません。
ただ、そういう方向に向かいつつあるのではないかと言ってるだけです。

僕のコメントは巴 -t7239-さんの文章を踏まえた上で、
わざと話の軸をずらして書いているのです。
誤読ではないです。
話の軸をずらすこと自体が大きなお世話だと言われるかもしれませんが、
人の発言権まで封じることは出来ないはずです。

どうでもいいことなのかもしれませんが、
「もう一度、義務教育からやり直すことをオススメ致します」
というコメントはどうかと思います。
見ず知らずの人に向かって言う言葉ではありません。

僕としては上記コメントは僕なりの善意(もしくは優しさ)の発露のつもりだったのですが、
ご理解いただけなかったようで悲しいです。
今回のコメントで誤解を解きたいと思ったのですが、
「これ以上、貴方とお話ししたくない」ということであれば仕方ありません。

---2009/06/21 02:41追記---
三度目のコメント。これで終りにします。

おっしゃることはよくわかりました。
善意が何かということについては発言した本人が善意だと思っていれば善意である
ということでいいのではないでしょうか?
文字通り、「善かれと思っての意思」でしょうから。
自分では相手のことを考えていると思っていても、
それが相手から見れば筋違いなものであるということもありますし、
相手を傷つけてしまうかもしれない可能性もあります。
おっしゃりたいことは、相手の発言を汲み取るとか慮るとかいうことの方に近いのではないかと思いますが、
それは善意とはまた違ったものだと考えます。
難しいのですが、善意よりもさらに一歩相手の側に踏みこんだ態度ではないでしょうか。
そうだとすると、僕の最初のコメントは
善意ではあっても相手の発言を汲み取るとか慮るとかいうことにはなっていなくて、
よく言われる「善意の押しつけ」ということだったのでしょう。
そこは正直に反省すべきことだと思いますし、
改めて謝罪したいところです。

僕はどうも人の書いたものを読む時に自分の方に引き寄せて読んでしまうというくせがあるようです。
今回の件では、僕自身「普通」と「特殊」の関係性というものを長年ずっと考えてきていて
(ということは、自分が普通ではない特殊な人間だと思いたがっていた、
いや、思わされてきた。平たく言うと社会の中で疎外感を味わってきたということですが)、
巴 -t7239-さんの文章がそんな気持ちを呼び起こしたということなのでしょう。
自分の方に引き寄せて読んでしまっているから、最初のコメントでおっしゃったように
「妙な所だけをピックアップして」自分の「思想を語」るということになっているのでしょう。
まあ、僕は自分のコメントが「思想」だとはこれっぽっちも思っていませんが、
結局自分のことを語っていることに変りはないわけで、
やはり思慮が足りなかったと思います。

ただ、僕は自分なりに物事を考える時に、
自分の方に引き寄せて読むことも必要であろうと考えます。
そこに自分の問題も含まれていると思えなければ切実さが持てませんし、
そうした方が飲みこみやすいからでもあります。
ですから、今後も人の文章を読む時に書いてあることの中に自分の抱えている問題も
含まれているのではないかと思うことはやめません。
「『ズラし』のテクニックに酔いしれて」いるわけではないのです。
あらゆることを自分の問題として考えてみたいというだけなのです。

巴 -t7239-さんが求めたのは共感の言葉でしょうか?
もし共感を示すだけだとしたら、僕は何も書いていなかったでしょう。
怒らせてしまったことは重ね重ね謝りますが、
共感を示すだけでは何も生まれないのではないかと思います。