特別であり普通である私たち/岡部淳太郎
岡部淳太郎さんのコメント
改めて読み直してわかったのですが、ここでは周囲から賞讃され評価されて自我が肥大した上での「特別」にはまるで触れていません。
そのようないわゆる「祭り上げられ型」の「特別」の精神性はここで述べているものとは違うものでしょうし、また日を改めて書くべきことであるような気がします。
---2008/02/08 22:47追記---

>渦巻二三五さん、

面倒なので普段コメントには返事を書かないのですが、今回はちょっとだけ書いておきます。

まず、この文章は渦巻さんが「The Poetic Stigma」に寄せたコメントへの返事ではありません。ここで書いているようなことは僕がずっと以前から(「The Poetic Stigma」を書くより何年も前から)ぼんやり考えていたことです。あのコメントはこの文章を書くきっかけになっただけで、コメントを寄せられたことで自分がそれまで考えていたことを自分の中で定着させるためにも書いてみようと思ったまでです(まあ「それ以来」と書いているので信じてもらえないかもしれませんが、あれは最初に渦巻さんのコメントを出してしまったので、それとつなげるために書いたようなものです)。だから、この文章は徹頭徹尾自分のために書いたものであって、渦巻さんや他の誰かに当てて書いたものではないのです。これだけではなく、僕が書く散文はだいたいみんなそうです。誰かのためになど書いていません(詩を誰かのために書くことは時々ありますが)。
「『群衆のなかの一人』と言ったのを、勝手に『普通の人間』などと言い替えるなんて、失礼ながら、ずいぶん雑な人だ」とのことですが、僕にとっての「群衆のなかの一人」と「普通の人間」にはあまり隔たりがありませんが、渦巻さんの中では大きな意味の隔たりがあるのでしょう。僕の捉え方の方が確かに雑なのかもしれません。でも、それは僕が渦巻さんのコメントを書くきっかけにしてしまった以上、ある程度避けられないことでもあると思います。上述のように、これは僕が前々から思っていたことを整理して書こうとしているのですが、僕が考える「普通対特別」ということにややニュアンス的に近い渦巻さんの「群衆のなかの一人」というコメントがたまたまあったので、それをきっかけにして無理矢理自分のフィールドに持っていって書いてしまったんですね。だから、渦巻さんのコメントに言及した部分は余計だったのかもしれません。その点では失礼いたしました。

それにしてもずいぶんとまた喧嘩腰ですね。あんまりそういうふうに来られると、僕としてはとまどってしまうばかりなのですが。
---2008/02/08 23:30追記---